Let’s go o-henroad! 「お遍路ードプロジェクト」について

41日目「鴨原さん、そっちの釣り場はどうですか?」(2014年12月21日)

歩数 23450歩
距離 16.8km


 朝から激しい雨が降っている。部屋の中にいても屋根や庇を打つ雨音が聞こえてくるほどだ。インターネットで雨雲レーダーを見ると、これから午前中にかけて宇和島市上空をかなり厚い雨雲が通過するようである。いつもなら朝食を食べて出発する時間なのだが、あまりにも激しい雨足に出鼻をくじかれてしまった。仕方がないので、津島町の「三好旅館」の自室で天候の回復を待つことにして、きのう昼ご飯を食べた「茶房 泰山」で買っておいた黒カリントをポリポリやりながらこの原稿を書いている。
 昨日は柏坂越えの遍路古道を気持ちよく歩き通し、心地よい達成感と筋肉痛を引き連れて午後3時ごろに三好旅館に到着した黒ちゃんであった。このブログの昨日分の原稿を書き終え、6時からお風呂に入り、さっぱりした体で7時からの食事開始を待っているときであった。息子さんからのメールで、黒潮町在住の釣り仲間・鴨原一光さんが18日午後に亡くなったことを知った。

 突然の訃報に気が動転してしばらく呆然としていた。グーグルカレンダーを見返してみると、鴨原さんとは今年の6月25日に佐賀から鈴へ抜ける道すがら、彼の経営するエリンギ工場の前で初めて会っている。お遍路中の黒ちゃんが、たまたま道を尋ねた相手が鴨原さんだったのだ。お互い釣り好きであることがわかり意気投合、それからわずかひと月の間に3回も一緒に釣りをしているのだが、7月26日に彼のホームグラウンドの黒潮町佐賀沖でタイとイサギを釣ったのが最後になった。
 9月ごろ体の調子を崩して入院していると息子さんから連絡があったが、それほど重大な容体であるとは知らなかった。訃報を伝えるメールには「闘病中の父はずっと治ったら黒ちゃんと釣りに行くと話しておりました。父とは短い間でしたが本当に素晴らしい思い出をありがとうございました」と結ばれていた。あの7月の炎天下の佐賀沖で、憑かれたようにまるで時間を惜しむかのように遊び尽くして彼岸に行ってしまった釣りバカ鴨原さん、享年は私と同じ64歳である。言葉もない。ご冥福をお祈りします。

 人は亡くなって初七日までの1週間、不動明王の案内で彼岸のあちこちを見て回ると聞いたことがある。釣りバカの鴨原さんのことだから、たぶん宇佐の36番札所・青龍寺の波切り不動明王さまあたりが駆り出されて、今ごろはあちこちイサギやタイの釣り場の案内をしている最中であろう。
「鴨原さん、そっちの釣り場はどうですか?」

 雨が小降りになってきた。そろそろ今日の目的地に向けて歩き始めなければ。今宵の宿がある宇和島市街まで、一部山越えの遍路道を経由して4時間あまりの行程である。

鴨原さん追悼の一句
 彼岸まで 釣竿一本 宅配便
黒笹慈幾


三好旅館本館。今は3階部分は使っていないようだが、建てられた当時は珍しかったであろう木造3階建ての宿。昔、この3階で徴兵検査が行われたこともあると、旅館の従業員が話してくれた。


津島町岩松の老舗割烹旅館「三好旅館」の晩ご飯。豪華で味良し、地元の伝統料理ありのステキなメニューだった。ウナギ、伊勢海老、刺身、酢の物。下中央の小分け皿の左は「フカの湯ざらし」。小さな鮫を湯がいて味噌ダレで食すが、これは津島町の伝統料理だそう。ふたりでビール2本と日本酒1合飲んで、1人8000円だった。


津島町岩松の古い町並み。三好旅館の界隈は町家が立ち並ぶ風情のある通りが残る。


雨が小降りになるのを待ちかねて国道に出たとたん雨が激しくなり、昼飯を兼ねてたこ焼き屋さんに避難。元魚屋さんだったという店主のおばちゃんとノンビリ世間話。


お遍路ード史上初めての「たこ焼きランチ」。結構なお味でした。


すぐ隣にある県立津島高校の女子生徒がノートに描いてくれたという宣伝ポスター。


国道の松尾トンネルを迂回する遍路道。激しい雨の直後なので足元が悪かったが強行突破。晴れていればステキな遍路道だろう。


宇和島市内に入って見つけた魚屋さん。地元の魚が並んでいるのを見るだけでも楽しい。黒ちゃんが指さしているのは鴨原さんが好きだった型のいいイサギ。


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