2023.02.27 08:35
父の残した場所守る 東洋大敷組合親方 桜井剛さん(23)東洋町―ただ今修業中
「父のように頼りがいのある漁師になりたい」と話す桜井剛さん(東洋町沖)
2月中旬の午前5時。冷たい空気の中、船員8人を乗せた船が東洋町野根甲の野根漁港を出ていった。「今はサバが旬で、ブリも大敷に入り始めた。今日もたくさん入っているといいんですが」。23歳にして東洋大敷組合をまとめる若者は、はきはきと明るいトーンながら、落ち着いた口調で話した。
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太平洋を望み、自然が豊かな同町で生まれ育った。生き物が好きで、メダカの採取や漁で取れた魚の飼育に夢中になった。「いつか漁師になるんだと、そのことしか考えていなかったですね」。組合長として漁師たちをまとめる父、淳一さんの姿に憧れを抱いていた。
徳島科学技術高校で海や養殖などの知識を深め、京都の短期大学では経営学を専攻。20歳で地元に戻り、漁師になった。「父の仕事を間近で見てきたから」と自負も強く、魚を取り込む網起こしや網の修繕などの作業を迷いなくこなしていった。
父の後を継ごうと突っ走ってきた一方、「違う環境に身を置いて、よその飯を食べるのもいいか」とも考えた。町外で漁師の経験を積もうか、将来をどうするか…。揺れ動いていたとき、長らくがんを患っていた父の容体が悪化し、2021年12月に亡くなった。
最期の言葉は「野根を、漁師を、頼むぞ」だった。「がんと闘いながら、最期まで家族のため、組合員のために力を尽くしてくれた。もう迷いはなかったです」。組合の現場責任者である「親方」として、父の後を継ぐことになった。
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一漁師から組合のまとめ役へ…。突然回ってきた大役に「組合には一回り、二回りも上のベテランの方もいる。自分に率いるほどの力があるのか…」。若さゆえの悩みもあったが、つらいときは父の言葉を思い出して奮起した。
黒潮大蛇行などの影響で、昨今は県内全域で漁獲量が減少。「ただ取って売るだけでは先はない。何とかしなければ」。観賞用としてカゴカキダイやドチザメなどを売り出し、高松市の水族館に生物を売り込む商談を持ちかけるなど、新たな活路を模索している。
大変なことも多いが、最近は楽しいと感じる瞬間も増えてきた。「組合員が気軽に質問をくれたり、漁の工夫について提案してくれたり。若いから話しかけやすく、和気あいあいとした仕事場の雰囲気ができてきているなと感じ、やりがいも出てきました」
父から引き継いでまもなく1年。目指す理想像がある。「昔は小敷と大敷を合わせて六つの組合があったが、今はうちだけ。もう一度盛り上げて、東洋町を県内で一番漁が盛んな町にしたい」。まずは人材育成に力を入れ、漁の技術や知識の伝授に励んでいくつもりだ。
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写真・森本敦士
文・板垣篤志