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2022.11.27 08:39

造成55年、エモ~い住宅地 顔なじみが支える電器店にビンテージの時計店 子ども世代の回帰も―ちいきのおと(98)三園町(高知市)

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 高知市三園町は、造成されて55年の小さな団地だ。家々の距離は近く、そのたたずまいもどこか懐かしい。若者が言う「エモい」(心に響く)雰囲気が残っていそうだ。秋の一日。町歩きを楽しんだ。

店主が修理した古い国産時計が並ぶハシヅメ時計店(写真はいずれも高知市三園町)

店主が修理した古い国産時計が並ぶハシヅメ時計店(写真はいずれも高知市三園町)

 早速、レトロな掛け時計を飾った「ハシヅメ時計店」を見つけた。扉を開けると、♪あの素晴らしい愛をもう一度―と、フォークソングが流れている。棚にはセイコーやシチズンなどの懐かしい腕時計が並ぶ。

 「古いもん好きながよ。機械式は手入れ次第で新品同然になる」と語るのは、店の奥で腕時計を分解掃除していた橋爪昌祐さん(64)。店の2代目でビンテージ時計の修理が専門。かつて雑誌に取り上げられ、各地の愛好家が足を運んだ時もあったという。

 手にしていた1966年製のセイコーは、部品を替えて油を差しぜんまいを巻くと、歯車が元気に回り始めた。「おやじがこの土地を買うたのは67年。当時は砂利道で周りは田んぼばっかりやった。高級住宅街と言われたこともあるけど、どうも僕にはピンとこんねえ」と笑った。

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昼下がりの路地にどこか懐かしい雰囲気が残る

昼下がりの路地にどこか懐かしい雰囲気が残る

 町内会が80年に発行した「町創立10周年記念誌」によると、町は西秦泉寺、北吉田町、東久万の3地区にまたがっていたことから三園町と名付けられたそうだ。町内会ができた67年時点は90世帯(人口約300人)で、80年には370世帯(同1200人)まで増えた。町内会の元役員、森本光一さん(81)は「みんな30、40代。町を住みよくしたい一心やった」。地区運動会や一斉清掃などを始め、力を合わせて町づくりを進めた。往時は書店や自転車店、複数の電器店があり、少し歩けばスーパーや信用金庫も。「ここらで何でもそろった」という。

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「うちはずっと地元密着です」とメックの平石富康さん

「うちはずっと地元密着です」とメックの平石富康さん

 現在、町内に残る唯一の電器店が「メック」だ。大手電機メーカーの開発技術者だった平石富康さんが84年にUターンし、妻と始めた。近くには大型店の「エイコー」もあったが、腕を生かして修理を何でも受け、じわじわ顧客を増やした。VHSデッキを連日徹夜で直したことも、CDコンポを宣伝する中森明菜の桃太郎旗が飾った次の日に盗まれたことも、今では懐かしい思い出という。

 今も最新型のテレビなどが並ぶ。店を支えてくれるのは、昔ながらの客。平石さんは「困り事があれば連絡をもらえる。うれしいねえ」と話した。

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 町内会長の生駒輔さん(77)によると町は高齢化が進んでいたが、近年は子ども世代が新しく家を建てるなどし小学生も「40人ぐらいおる」という。町内会の餅つきなどもにぎやかになったそうで「子どもの声は町の活力よ」と笑う。

 小さな高知の住宅団地。町の歯車は、勢いよく回り続けていた。(報道部・新田祐也)


《ちょっとチャット》
長山 英美利さん(12)一ツ橋小6年
 町内会の人が、子どもも楽しめるように企画を考えてくれるのがうれしいです。年末には大声で「火の用心」って言いながら町を回るし、正月には公園で餅つきもあります。将来の夢は、父の弁護士事務所を引き継ぐこと。父のように人を助ける仕事に憧れています。まずは希望する中学校に合格したいです。




 三園町は高知市の中北部に位置する、南北350メートル、東西200メートルほどの住宅団地。南を久万川、北から東にかけて名切川が流れている。元は湿田で、1965年から2年かけて造成され、66年に今の町名となった。11月1日時点で357世帯694人。

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