2022.10.02 05:00
【図書館の選書】権力の介入許されぬ
拉致問題は基本的人権に関わる重要なテーマであり、解決が急がれる国政課題だ。国民が理解を深めるための関連書籍や資料が充実すること自体に異論はない。
ただし、それは図書館の主体的な取り組みで実現されるべきだろう。政府や政治家は、権力による介入と受け取られかねない行為は厳に慎まなければならない。
全国の図書館員らでつくる日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」は「知る自由」の保障を掲げ、自らの責任で資料を収集・提供するとうたう。むろん、戦前から戦中にかけ、図書館が国の検閲制度と連動する形で、国民の「知る自由」を妨げた反省に立つ。
だが、この理念は常に危うさにさらされているといえよう。図書館の蔵書を巡ってはこれまでにも、検閲をほうふつとさせる問題が後を絶たなかった。
2013年には各地の学校図書室などで、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」が、閲覧を制限される事態が相次いだ。「間違った歴史認識」を理由とした市民の陳情がきっかけだったが、大阪府泉佐野市では「差別的な表現がある」とする市長の意向で、学校から蔵書が回収されていた。
ことし3月にも岐阜県御嵩町の町立図書館で、町長が内容を批判する本を約1年間、貸し出していなかったことが発覚した。社会的な圧力や政治家の介入が、国民の「知る機会」を奪った事実を重く受け止める必要がある。
今回の文科省の対応もそうした危うさを伴っていた。特定分野の情報へ意図的に誘導する形になれば、国民の関心や思想、世論をゆがめかねない。
文科省は、若い世代に拉致問題への理解を深めてもらおうと、内閣官房拉致問題対策本部から協力を依頼されたとする。事務連絡に法的な拘束力はないとして、「選書は各図書館がそれぞれの基準で判断すること」という姿勢だ。
図書館の選書に何ら影響を与える意図がないのであれば、そもそも協力を要請する必要もあるまい。拘束力はないとしつつ、中央省庁が持つ強大な権限、影響力を背景にした協力要請であるなら、「圧力」と受け取られても不思議はない。
こうした要請が容認され積み重なれば、図書館側の自由は大きく制約されてしまう。
文化や教育を所管する文科省は本来、図書館や教委の自由を最も尊重し、守るべき立場だろう。「アリの一穴」になりかねない協力要請は、あまりに軽率な判断だったというほかない。
権力が情報を意のままにすれば、国民の思想さえ縛り得ることは戦争の重い教訓だ。その危険性を常に意識した慎重な対応が求められる。