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2022.09.03 08:00

【ゴルバチョフ氏】継承したい平和への足跡

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 第2次大戦後の国際体制を大きく変えた政治家といってよいだろう。旧ソ連最後の最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏が死去した。
 西側との融和的な外交や核軍縮、民主化などを進め、東西冷戦を終結に導いた。1990年にはノーベル平和賞を受賞した。
 ただ結果的にそれがソ連構成国の間にあつれきを生んだのは確かだ。いま起きているロシアのウクライナ侵攻とも無関係ではない。
 それでも東西両陣営の軍事的緊張を緩めた功績は大きい。いまロシアと西側の関係が再び、きなくさくなりつつある。中国への警戒感も強まっている。
 東側リーダーのかつての試みに、改めて目を向けたい。平和実現への足跡を無に帰することがあってはならない。
 ゴルバチョフ氏は85年にソ連共産党書記長に就任し、一党独裁で硬直した政治経済を立て直す「ペレストロイカ(改革)」を実行。市場経済の導入などを図った。
 欧米と融和を図る「新思考外交」を展開し、チェルノブイリ原発事故をきっかけに「グラスノスチ(情報公開)」でも注目された。
 画期的だったのは、米国との中距離核戦力(INF)廃棄条約の締結である。核軍縮の一つの流れをつくった。平和への思いは、被爆地の長崎と広島双方を訪れたことにも表れていよう。
 89年には当時のブッシュ(父)米大統領と「東西冷戦の終結」を宣言した。ソ連嫌いのサッチャー英首相も「彼となら仕事ができる」と言い表した。西側ではいまも総じて評価が高い。
 一方で、改革はソ連内では経済や社会の混乱を招いた。91年にはウクライナなどソ連から脱退する共和国が相次ぎ、ソ連が崩壊。ゴルバチョフ氏は大統領を辞任した。
 ロシアではその後も経済格差が広がり、ゴルバチョフ氏は批判にさらされ続けた。訃報に際し、ロシア国内の反応が冷ややかだったのはこのためであろう。
 その後、ロシアの民主化は次第に後退し、プーチン大統領が専制主義的な政治に傾いている。強いロシアを取り戻そうとしている。ゴルバチョフ時代の反動といえなくもない。
 しかし、その強引さは容認できるものではない。ことし2月には同じソ連構成国だったウクライナに侵攻し、いまも戦闘が続いている。
 プーチン氏は核兵器の使用さえちらつかせている。先月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議はウクライナを巡る記述にロシアが反対し、決裂に終わった。
 日本を含め西側でも、核保有国と同盟国が核兵器を共有する「核共有論」が浮上。核軍縮や核廃絶の流れが後退しかねない状況だ。
 「核戦争に勝者はなく、決して行われてはならない」―。85年にゴルバチョフ氏とレーガン米大統領が共同声明でうたった。国際社会には、今後もこの「遺言」を守る不断の努力が欠かせない。

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