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2022.05.25 08:40

北にないのに「高知北高」なぜ 創立50周年、当事者知らず 発足当時の場所関係「?」 【なるほど!こうち取材班】

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高知城の南、播磨屋橋から見ても南、鏡川の南側に位置する高知北高校(高知市東石立町)

高知城の南、播磨屋橋から見ても南、鏡川の南側に位置する高知北高校(高知市東石立町)

 高知北高校(高知市東石立町)は今年、創立50周年の祝い年を迎えた。秋には記念式典も開かれる予定となっているというが、ちょっとお待ちいただきたい。すっきりさせねばならない問題がある。北高はなぜ「北」を名乗っているのか―。「なるほど! こうち取材班」(なるこ取材班)が調べてみた。

 高知市内にある県立10高校のうち、高知北以外で校名に方角が入るのは高知東(一宮徳谷)、高知西(鴨部2丁目)、高知南(桟橋通6丁目)の3校。それぞれ高知城から見て東、西、南に位置し、納得できる名だろう。

 だが北高は高知城はもちろん、市内を流れる鏡川の視点で見ても南側。播磨屋橋から見ても南側。一体、どこに「北」が入り込む余地があるのか。

校長も苦笑い
 現役北高生に聞いてみた。「昔の地形に関係あるんじゃ?」「学校をつくった人が、北が好きな人だったとか」「言われてみたら確かに謎」…。誰も分からないようだ。

 「私も分かりません」と話すのは山下英雄校長。「50周年式典の準備もあって探しましたが、由来が分からないんですよ」と苦笑いで語る。

 県教育委員会高等学校課に聞いてみた。だがこちらも、「退職した元校長に聞いてみたが、『知らない』と。前の代の校長にも聞いてくださったようですが、やっぱりご存じないそうで」。

 うろたえる取材班に「恐らくですが」と担当職員が耳打ちしてくれた。「できた当時、北高は現在の場所になかった。他の学校に間借りしていたので、そのせいでは、と。あくまで推測ですが」

「城北」と関連か
 当時の新聞を繰ってみた。1971(昭和46)年4月の紙面に、こんな記事があった。

 「定通制の独立高校を 県教育長が校長会で発表」

 記事は、「働きながら学ぶ人々のため定時制通信制高校の施設充実」を企画。小津高通信制と追手前高定時制を統合し、翌年に「独立校を発足させる」との計画を明らかにした―と書いている。

 同時に、新校舎用地は物色中。新校舎ができるまで名目統合の形をとり、本部を小津高定通センターにおく、とあった。

 以降の経緯をたどると、同年12月の県議会で学校発足の議案が認められ、この時点で名称が決定。翌年度に発足し、73年に現在の東石立町の敷地を取得、75年に新校舎に移っている。

 新校舎ができるまでは追手前高と小津高の校舎を間借り。旧制で言えば、それぞれ城東中と城北中。北高の本部が小津高にあったなら、「城北」由来説も考えられるが…。

「愛着が強い」
 ほかにつながりはないか、校歌の歌詞を比べてみた。北高の校歌は、こう始まる。

 ♪大土佐の海鳴り遠く 仰ぎ見る北の山脈(やまなみ)―。

 小津高は♪はるかなる北の山脈 みどりこき庭の芝草―。

 同じ「北の山脈」が出てきた。追手前高は、♪仰ぐは高き時計台 久遠の時を刻みつつ―。山ではなく、時計台を仰いでいるだけに、共通点が際立って見える。校歌は、小津と北の深いつながりを示す証左になりえないだろうか。

 「いやいや『北の山脈』は一般的な言い方でしょ。関係ないんじゃないですかね」と、北高の山下校長はばっさり。途方に暮れる取材班を慰めるように、創立20周年記念誌を差し出してくれた。

 そこには「(校名は)理解しがたいが、今となっては、校名変更を言うには『北高』への愛着があまりに強い」と記されていた。

 ああ。30年前の人も同じように、校名を不審がっていたのか。

 山下校長は「めぼしい土地が城の北側にもあったのかもしれない。何らかの理由で取得できず、現在の東石立町になったのでは」と推測するが、明確な理由は分からないまま。

 詳細をご存じの方。どうか、なるこ取材班にご教示ください。(玉置萌恵)

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