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2022.04.14 12:30

さよなら「永遠の少年」野田知佑さん。「BE-PAL」元編集長・黒笹さんが語る 四万十川を愛した自然人

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四万十川で子どもたちにカヌーを教える野田知佑さん(四万十町米奥)

四万十川で子どもたちにカヌーを教える野田知佑さん(四万十町米奥)


 作家でカヌーイストの野田知佑さんが2022年3月27日、84歳で亡くなった。アウトドア情報誌「BE-PAL」元編集長で高知市に住む黒笹慈幾(やすし)さん(71)は、およそ40年来の親交があった。「永遠の少年」だったという野田さんとの思い出を語ってもらった。

「放浪の人」日和佐へ
 ―どんなふうに出会ったんですか。
 
若き日の野田知佑さんと黒笹さん。撮影年月日不詳。「僕が30代後半のころだと思うんだよね」と黒笹慈幾さん(神奈川県の大磯ロングビーチ、黒笹さん提供)

若き日の野田知佑さんと黒笹さん。撮影年月日不詳。「僕が30代後半のころだと思うんだよね」と黒笹慈幾さん(神奈川県の大磯ロングビーチ、黒笹さん提供)

 「『BE-PAL』に配属されたばかりの新人の頃だったと思う。夢枕獏さんに呼び出されて、椎名町駅(東京都豊島区)の近くにあるすし店に行ったら、そこに野田さんがいたんだよね。椎名誠さんも一緒だったような…ちょっとそれは記憶があやふやだけど。そのころに野田さんが『日本の川を旅する』(新潮文庫ほか)で日本ノンフィクション賞新人賞を受賞したんだよね。そのこともあって編集長が『BE-PAL』での連載を決めたんだ。当時、野田さんは中野に住んでいて、なんだか居心地悪いって感じで暮らしていたなあ。それから九州に行ったりあちこちして、徳島県の美波町日和佐に土地を買って、そこで暮らしていた」

 ―2015年12月でした。高知新聞の連載企画「ハマちゃんと歩く―1201年目の88カ所」で、日和佐の遍路道を歩いていた時に野田さんの家を訪ねたんですよね。

 「野田さんに電話をかけたら、家にいるって言うから寄り道したんだよね。野田さんは放浪の人、デラシネ(故郷を喪失した人)だったけど、終のすみかが日和佐になった」

 ―私は初めてお会いしたのですが、なんかこうゆったり、大きな構えのある人でした。

 「ほっ、ほっ、ほっ、って笑うんだよね。野田さんは、本当にいろんな人から尊敬され続けてきた」

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