2022.03.11 08:47
3・11岩手で被災「地球が割れる」 香南市の久保田さん「今なら話せる」【なるほど!こうち取材班】
被災当時の写真を見ながら、震災を振り返る久保田尚子さん(香南市内)
久保田さんは2010年、結婚を機に高知から岩手県の大船渡市へ。高台にある県立大船渡病院に隣接する保育所で働いていた。あの瞬間、園児たちは昼寝中。久保田さんら職員は食事を済ませ、歯を磨いていた。
カタカタカタッ。数日前から前震があり、「またか」。しかし建物がばりばり音を立てて揺れが収まらない。「5分以上続いたと思う。大人も子どももパニック状態。地球が割れる、と思った」
靴も履かず、保育士らと30人の園児を抱えて外へ。庭のブランコが、割れた地面に沈んでいた。「いつ止まるの」と子どもは叫び、「どうしよう」と保育士も泣きだした。
高知の親族に、「無事」と1通だけメールを送った。そこから携帯電話は通じなくなった。「津波だ」という声を聞き、大船渡湾に目を向けると、遠くの河口の橋を黒い水が乗り越えていた。「見たらトラウマになる」と目をそらし、子どもたちに「大丈夫よ」と声を掛け続けた。
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白い建物が当時の自宅。2階まで津波に襲われ、手前の平屋は跡形もなく流され、漁船が流れ着いていた(2011年4月、岩手県大船渡市末崎町=久保田さん提供)
親族宅に身を寄せ、ストーブで米を炊き、煮沸した茶色い井戸水を飲んですごした。実は2月に妊娠が分かっていた。「無事に子どもが生まれてくれるかな」と不安が募った。
この年の4月から、隣の陸前高田市で市職員として働くことが決まっていた。市役所は約110人の職員が犠牲になった。出産もあり、入庁を辞退しようとプレハブ庁舎を訪ねた。「津波を生き残った保健師は2人だけ。1カ月でも、1週間でもいい」と頼まれ、働き始めた。
避難者の健康状態をチェックしつつ、全国から派遣された応援職員と連携。市内の避難所を回り、被災者の声に耳を傾けた。
ある避難所で、家族全員が安否不明という高齢女性に「一番気に入っている写真」を見せてもらった。子と孫が笑っている。「言葉を掛けられない。傾聴するだけ。でも、『話を聞いてもらえた』と少し笑顔を見せてくれて。それで良かったのかなと思うしかない」
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久保田さんは長女を出産後に復職。大船渡市の仮設住宅で暮らしながら、13年まで仕事を続けた。今は高知で暮らしている。
被災から11年がたっても、津波の映像を見ると動悸(どうき)がする。携帯電話で撮影していた当時の写真を、今回初めて見返したという。「亡くなった方の分も、精いっぱい生きたい。コロナ禍の今だからこそ、人とのつながりを大切に地震に備えたい」
現在、病気療養のため休職中。10歳になった娘には「震災の時におなかにいたんだよ」と伝えている。いつか一緒に被災地を訪れてみたいという。(大野泰士)