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2022.01.31 08:45

国境なき医師団→東大大学院→高知大へ  ブラジル人研修医のオタビオ・オオマチさん 日本の医師国家試験に8年かけ合格「将来は家庭医に」

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 高知大学医学部付属病院(南国市岡豊町小蓮)に、珍しい外国籍の研修医がいる。ブラジル人のオタビオ・オオマチさん(48)。ブラジルで医師になり、「国境なき医師団」を経て東京大学大学院に進んだ後、日本で働きながら医師国家試験に挑戦し、足かけ8年で合格するという異色の経歴を歩んできた。「高知には縁もゆかりもない」というオオマチさんに、高知を選んだ理由を聞いた。

高知大病院で研修しているオタビオ・オオマチさん(南国市岡豊町小蓮)

高知大病院で研修しているオタビオ・オオマチさん(南国市岡豊町小蓮)

被災地や紛争地で医療支援

 オオマチさんは日系3世として、ブラジルで生まれ育った。祖父や父には日本国籍があるが、自身はブラジル国籍のみ。「日本語は多少話せる程度」だった。

  エンジニアだった父の影響で大学は工学部に進んだが、3年生の時に「この道じゃない」と考えるようになった。そんな時に、テレビのドキュメンタリー番組で国際医療援助団体「国境なき医師団」の映像を見て、「これだ!」。国境なき医師団に入るため、医師になろうと決めた。

  2000年にサンパウロ大学医学部を卒業。麻酔医として研修を積み、05年に国境なき医師団に参加した。最初の派遣先はインドネシア。スマトラ沖地震から半年後の現地に入った。「病院がなかったので、初期診療から手術まで何でもやりました」

  インドネシアから、そのままパキスタン地震の現場へ。南スーダン、シリア、ソマリアなど紛争地にも入った。患者の多くは軍人ではなく、一般市民。「自然災害とは違いますね。戦争は人間が悪い」。「人間がこんなことをしてしまうのか」と心を痛めながら、医療支援を続けた。

  08年まで活動した後、日本へ。東大大学院で公衆衛生を学ぶことにした。「(プライベートでも)そろそろ落ち着こうかなと思ったんですが、人生はシナリオ通りにはいきませんね」とちゃめっ気たっぷりに振り返るオオマチさん。大学院を修了した12年、人生の岐路に立った。

  選択肢は三つ。東大で博士課程に進むか、ブラジルに帰るか、日本で仕事を探すか。「外国人も日本の医師国家試験に受かれば、日本の医師免許が取れる」と聞き、挑戦することに。「『取ってみようかなー』と軽く考えて、後で大変なことになりました」

 「心筋梗塞?」漢字に苦戦

 外国人が医師国家試験を受けるにはいくつか条件がある。オオマチさんの場合は、日本語能力試験の最も難しい級と日本語による診察能力試験に合格しておく必要があった。大学院の授業は全て英語だったこともあり、日本での暮らしに困ったことはなかったが、試験となると話は別。「当然ですが、病気の名前が全部違う。初めて『心筋梗塞』という漢字を見た時に、『何だこれは?』と。自分の知識にある英語の病名とはつながらず、(何でこの道を選んだのかと)泣きたくなりましたね」

  大阪で病院の住み込み、調剤薬局の受け付け、大学の教員と仕事を変えながら、ほぼ独学で国家試験と日本語の勉強を続けたオオマチさん。漢字には悩まされ続けた。

  診察能力試験では「患者の症状や背景などのシナリオを読み、5分でカルテを仕上げる」という課題に苦戦。「2、3年前に受けた人から『カルテは全部平仮名で書いて受かったよ』と聞いていましたが、方針が変わったみたい」。15年はその言葉を信じて不合格。16年は漢字で書こうと頑張ったものの、「頭が真っ白になって漢字が全く出てこなくて」不合格。17年にようやく合格し、受験資格を得た。

  18年に初めて国家試験に挑戦。準備不足で不合格だったが、「もう少し頑張ればいける」と手応えを感じた。しかし、19年も不合格で、「独学で学ぶことはもう限界でした」。オンラインの予備校に通い、20年に念願の合格を果たした。

  合格後は2年間の初期研修を受ける。「Dr.コトー」などの医療ドラマを見て、「田舎に行きたい。長野、岐阜、滋賀、高知あたりかな」と研修先を探していた矢先、勉強会でたまたま出会った医師に「地域医療なら高知大がいい」と勧められた。縁はなかったが、高知に運命を感じ、研修先を高知大病院に決めた。

土佐山診療所では在宅医療も学んだ(高知市土佐山)

土佐山へき地診療所では在宅医療も学んだ(高知市土佐山)

「土佐弁が一番難しい」

 21年4月、循環器内科を皮切りに研修が始まった。現在は総合診療部に所属。院内では親しみを込めて「オタビオ先生」と呼ばれている。「大学病院と診療所の違いを肌で感じたい」と12月には土佐山へき地診療所(高知市土佐山)で1カ月を過ごした。

  患者との距離が近い診療所では、医療と生活が密着していることを目の当たりにした。「ユズの収穫時期は忙しいので患者さんが来ないとか、高血圧の患者さんが多いとか。先生もスタッフも、患者さんの家族のことをよく知っています」「地域の特徴を理解し、人と人との関係を築きながら、根拠に基づく医療を実践することが大事だと学びました」

  診療所では難解な土佐弁にも触れた。「体がうるさい(つらい)」という患者の訴えや、「うるさい検査してごめんね」というスタッフの声掛けに、「『何で?うるさくないよ。静かだよ』と思っていました」。数カ国語を理解するオオマチさんは「土佐弁が一番難しいね」と苦笑する。

 土佐山での経験を糧に、目標は「家庭医」と定まった。患者の生活背景も含めて診療を行う医師を目指し、日本語をうまく話せない外国人向けの診療所なども視野に入れている。

  「『人の役に立ちたい』というのがブラジルで医師を目指した頃からの私の夢です。語学という私の力、ストロング・ポイントを生かし、日本で仕事ができたらいいなと思います」(門田朋三)

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