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2022.01.09 08:40

60人の山里、じわり脚光 下津井(四万十町)「森の美術館」など多彩なイベント開催―ちいきのおと(53)

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森林軌道跡の展示作品に見入る観光客(写真はいずれも四万十町下津井)

森林軌道跡の展示作品に見入る観光客(写真はいずれも四万十町下津井)


 四万十川の支流沿いの山に囲まれた高岡郡四万十町下津井が、じわり脚光を浴びている。町中心部のJR窪川駅から車で1時間余り、住民は約60人と少ないが、団結して多彩なイベントを開催。昨年12月からは現代アートが楽しめる「森の美術館」(2月28日まで)の会場にもなり、県内外から観光客が訪れる。新型コロナウイルス禍に悩まされつつも、山里に明るい兆しが見え始めている。

山里の食材が詰まった弁当を包む西村鈴美さん

山里の食材が詰まった弁当を包む西村鈴美さん

 「えいねえ。作品をずっと置いちょってほしい」

 そう話すのは下津井唯一の宿、西村旅館の西村鈴美さん(71)。森の美術館が始まって以降、世界的アーティストらの作品が点在する森林軌道跡のウオーキングトレイルコース(約8キロ)には、東京や愛媛などから観光客がやって来るという。

 コース終点近くの同旅館にも、5人以上で請け負う弁当の注文がぽつぽつと入り始めたそう。「もうかりゃせんけんど、喜んでもらえたら」と、鹿肉やアユ料理、シイタケのたたきといった山里の味覚を詰めていく。その様子を、夫で区長の隆さん(75)が温かく見守っている。

 戦前から林業で栄えた下津井。1957(昭和32)年には445人の住民がいた。しかし今は8割以上減り、年齢も40代後半から90代と高くなった。

 それでも住民らは、四季を通じて多彩な観光行事や祭りを続けてきた。春はダム湖でヘラブナ釣り。遊覧船でのホタル見物や野鳥観察。8月には納涼花火大会で300発を打ち上げ、11月には全長約8メートルの牛鬼で知られる仁井田神社大祭「冬もうし」と、イベントは数多い。

2018年4月のバイキング。大勢の来訪者が春の味を楽しんだ

2018年4月のバイキング。大勢の来訪者が春の味を楽しんだ

 また、女性グループ「下津井いきいきやる鹿(しか)な猪(い)」(大西祐子会長)も2011年から活動。春は菜の花、秋はキノコといった地元の名物を使った多彩な料理を並べるバイキングは常連客も多い。催しの度に、地区を訪れた人々は笑みを浮かべ、山里は活気に包まれる。

 副会長の谷口啓子さん(71)らによると、周辺地区の住民からは「いろいろ、ようやるねえ」と感心されるそう。「住民の団結があるからよ。それしかない」。谷口さんはそう言って胸を張った。

 ただ、高齢化や人手不足の影響で、19年からバイキングなどの規模を縮小。さらにこの2年は、コロナ禍でイベントの自粛を余儀なくされている。

 「だんだん馬力がないなってきてねえ…。誰か移住してきてくれんろうか」と谷口さん。ホタル見物も連年で中止が続き、遊覧船を運営する大西信一さん(76)も「困ったわね」と漏らすが、期待は捨てていない。「今年はやりたいがねえ」

 もどかしさを抱えながらも「『下津井に来たらほっとする』と言うてもらえるのがうれしい」と口をそろえる住民ら。「森の美術館」開催も今後への弾み。昨年末、春に向けての集会には26人が集まり、元気いっぱいに掛け声を上げ、団結を確かめ合った。

 「まだまだ頑張るぞー!」(窪川支局・小林司)

「頑張るぞ!」。春に向けて気勢を上げる住民ら

「頑張るぞ!」。春に向けて気勢を上げる住民ら



《あの日あの時》1967年
軌道沿いに人の営み
 山の斜面に、木造の長屋がほぼ2列に並んでいる。急斜面に沿って道のように見えるのは森林鉄道の軌道だ。

 大正営林署佐川(さがわ)製品事業所の作業員宿舎。軌道沿いの平屋は共同浴場で、5、6歳の頃に宿舎に住んでいた四万十町職員、林瑞穂さん(60)は「母と一緒に風呂に入っていた」と懐かしむ。最盛期は60世帯、約200人が暮らし、山から切り出したモミやツガなどを田野々貯木場までトロッコ列車で運んでいた。

 機関車の運転経験がある森勝さん(84)は「トロッコを6、7台は連ねていった。速さ? 人が歩くばあよ」。国有林の伐採完了で、四国で最後まで残った佐川―下津井間約4キロは1967年3月に廃線。住人は梼原など近隣に移り、数年内にほぼ無人になったという。


《ナイショのメイショ》
7軒のためのつり橋
 西村旅館から国道439号を高岡郡梼原町に向けて約2キロ。狭い側道を下った先で、梼原川に架かっているのが緑と赤が印象的な鉄のつり橋、宗海橋だ。長さは約90メートル、幅1.3メートル。2人並んで歩くのが精いっぱいの橋は、町道下津井8号線の名も付く生活道だった。

 完成した1968(昭和43)年、対岸の宗海地区には7軒の家があった。「それまでは両岸に渡したロープを頼りに小船で渡った。完成を祝い、渡り初めをした」と当時、対岸に住んでいた男性(76)。その後、次第に住人は減り、20年ほど前に誰もいなくなった。

 急いで渡ればゆっさゆっさと揺れ、格子状の橋げたの真下には水面が見えてスリリング。太いワイヤには野鳥のための巣箱が据えられ、周囲の自然と調和している。


《ちょっとチャット》
山口百合さん(60)旅館勤務
 下津井小学校、中学校(いずれも閉校)に通いました。同級生は8人。自然が遊び場で、田んぼのあぜ道を走り回り、カブトムシも取り放題。若いころは「こんな田舎におりとうない」と思いましたが、今は下津井の暮らしが幸せです。人情深さが魅力。「森の美術館」も開催中なので、訪ねてきてくださいね。


 下津井は梼原川沿いの山間に位置し、梼原町と愛媛県に隣接。平家の落人伝説が残る。森林軌道跡の3連アーチ橋(めがね橋)は地区のシンボル。ダム湖ではゲンジボタルやヒメボタルが見られ、ヤイロチョウの繁殖地としても知られる。2021年11月末現在、39世帯65人。

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