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2020.08.12 08:30

【戦後75年 言葉を刻む】道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった

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道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった
 (大津市、木本勇さん)

 沖縄防衛を指揮する第32軍司令部に出向し、首里城地下の壕(ごう)内で印刷事務を担当していた。だが、戦線は悪化し、所属した元部隊も激戦でほぼ壊滅。南部への撤退は死の道だった。

 軍の指揮系統はなく、ばらばらの後退。サトウキビ畑の合間を走り、米軍機の機銃から逃れた。途中の壕では「住民を追い出す兵も見た」。民間人の犠牲の多さが目に焼き付く。約3カ月間、摩文仁(まぶに)の海岸に隠れたが、傷を負い、食糧は尽き、「もう戦う気は誰もなかった」。75年前の8月26日、敗戦を知らぬまま、米軍に白い布を振った。

 (2017年京都新聞取材、当時95歳)

高知のニュース 戦後75年 言葉を刻む

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