2020.08.07 08:30
【戦後75年 言葉を刻む】数合わせのように農村から多くの者が戦地に行かされた。本当に哀れなもんだ

(岩手県遠野市、菊池茂さん)
農家の跡取りだった父、萬慶(まんけい)さん(1945年、47歳で死去)が盛岡の陸軍部隊に召集されたのは1943年10月。忍耐強く忠誠を尽くす東北の農民兵士は「国宝師団」ともてはやされたが、実態は違った。
無線の指導係として弘前の陸軍部隊に配属された茂さんは、若者が10日間程度の訓練で次々と戦地に送られるさまを目撃した。銃の扱いもろくに分からない農民が急造の兵士に。父の死を知らされたのは終戦後だった。
戦病死したというが、詳しいことは分からない。盛岡の寺で渡された骨箱には、青みがかった砂が入っているだけだった。
(2015年2月26日付岩手日報、当時92歳)