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2013.05.14 08:43

緑つなぐ 転機の森林県 第1部 わが道(12) 銘建に懸ける(下)

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高速道路開通の半年後に開かれた記念イベント(1988年、大豊町川口)

生きる術「山しかない」
 「銘建工業が土地を探している」。2006年春、県幹部からこう告げられた長岡郡大豊町長、岩﨑憲郎(62)は色めき立った。

 生まれてからずっと大豊暮らし。高校卒業後は町職員として、地域の盛衰を見つめてきた。

 記憶に残るのは1987年、高知自動車道・大豊インターチェンジ(IC)の完成。当時、イベントの企画開催に駆け回り、都会とヒト、モノが交流する「高速道時代」の幕開けに、過疎の流れの変化を期待した。

 それから20年―。人口は8千人から5千人に減少。銘建の話を聞かされた06年春、県内で初めて高齢化率が50%を超えた。中山間の構造的な厳しさに悩みを深めていた町長2年目の岩﨑は、一筋の光明を見つけた思いで、県幹部に即答した。「ぜひ、うちで」


 「町の資源は山しかない。林業不振が過疎を生んだ」。岩﨑はこう言い切る。町は面積の9割を森林が占め、さらにその8割が私有林。町民は山と共に生きてきた。

 大豊町など嶺北地域の林業も、先駆的とされた時期があった。外材攻勢で材価が下落する80年代から、国は伐採から販売まで一貫した地域材の生産体制を整備する「流域型林業」を推進。これに乗って矢継ぎ早に新規事業を展開する。

 各森林組合などが出資した製材所の新設、第三セクターによる都市部への住宅販売、高性能機械を備えたプレカット工場、大工の育成機関…。

 しかし、バブル崩壊で加速する木材不況に、事業は総じて難航し、伐採量も落ちる一方。“唯一”の地域資源を生かせる術(すべ)として、販売力を備えた大型製材工場は「何としても欲しい存在」(岩﨑)に映った。

 銘建の高知県進出の候補地は4、5カ所あったという。大豊町はICそばの工業団地を提案。交通の便の良さを訴え、旧家具工場の活用や土場の造成を約束した。

 朗報は06年秋。岩﨑はうれしさの半面、気持ちを引き締めた。「さあ、これからが大変やぞ」


 同町がこれまで「高知おおとよ製材」の条件整備に投じた町費は、年間予算の約4分の1に当たる約9億8千万円に上る。進出が棚上げになっていた時期も、2カ月に1回は町幹部が“銘建詣で”。町はおおとよ製材の資本金の12%を担い、まさしく運命共同体になった。

 だが、嶺北の林業者の間では、急激な原木需要の増加に「対応できるのか」との見方も少なくない。皆伐の増加に伴う再植林への不安から「はげ山ばかりにならないか」との声、さらに「行政主導の前のめり」という目もある。

 そんな懸念、不安に話が及ぶと、普段は温厚な岩﨑の弁が熱を帯びる。「とにかく、この製材所を動かして産業の仕組み全てを変えなければ」

 操業開始まで3カ月。建築工事で業者が町内を行き交い、地元森林組合は若い雇用を増やした。誘致効果の兆しも見え始めたお膝元。大型製材工場に町の未来を懸ける。(文中敬称略)

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