2017.02.22 08:30

小社会 聖徳太子が死去したのは622(推古30)年2月22日…

 聖徳太子が死去したのは622(推古30)年2月22日のことだから、きょうは命日。太子が創建したとされる奈良の法隆寺は3月22日、大阪の四天王寺は4月22日などと月は異なるものの、聖霊会(しょうりょうえ)と呼ばれる法会が行われる。

 十七条憲法や冠位十二階の制定などを、聖徳太子の偉業として学んだ人は多いだろう。そうした超人的な太子像は歴史研究の進展とともに随分変わったようだ。太子は実在しなかったとの説もあるから、古い世代は戸惑うばかり。

 小中学校の次の学習指導要領では呼び方が「厩戸王(うまやどのおう)」になるという。聖徳太子は没後に使われ始めた呼称で、歴史学で一般的に使われている方に変える。当面は並列して扱うが、祖父母が「聖徳太子はね」と話しても、孫は「それは誰」となるかもしれない。

 江戸幕府の対外政策としてなじんできた「鎖国」の表記も消える。長崎でのオランダや中国との交易以外にも、対馬(長崎)と朝鮮、松前(北海道)とアイヌ、薩摩(鹿児島)と琉球の間で交易が認められ、完全に閉ざされていなかったのは確か。

 既に鎖国という言葉を使っていない教科書が増えているそうだが、鎖国的な体制があったことは間違いない。きちんと学べるようにしないと、子どもたちが誤ったイメージを身に付けるのではないか。

 戦前・戦中を振り返れば、歴史教育が持つ影響力の大きさは明らか。言葉一つで見方まで変わってしまう。

2月22日のこよみ。
旧暦の1月26日に当たります。かのえ たつ 五黄 友引。
日の出は6時43分、日の入りは17時56分。
月の出は3時16分、月の入りは13時49分、月齢は25.1です。
潮は若潮で、満潮は高知港標準で4時12分、潮位124センチと、14時54分、潮位129センチです。
干潮9時29分、潮位87センチと、21時56分、潮位27センチです。

2月23日のこよみ。
旧暦の1月27日に当たります。かのと み 六白 先負。
日の出は6時42分、日の入りは17時57分。
月の出は4時05分、月の入りは14時42分、月齢は26.1です。
潮は中潮で、満潮は高知港標準で4時50分、潮位136センチと、15時49分、潮位139センチです。
干潮は10時19分、潮位77センチと、22時38分、潮位15センチです。

カテゴリー: 小社会コラム


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