2016.01.28 11:09

高知県梼原町は新国立競技場の原点 隈研吾さんが思いを語る

設計した「雲の上のギャラリー」を見上げる隈研吾さん (梼原町太郎川)
設計した「雲の上のギャラリー」を見上げる隈研吾さん (梼原町太郎川)
 2020年東京五輪でメーン会場となる新国立競技場のデザインを手掛ける建築家で、東京大学教授も務める隈研吾さん(61)が1月26日、20年以上交流を続けている高知県高岡郡梼原町を訪れた。26日、檮原町内で撮影した東大のインターネット講座の映像や記者会見では、「木と生きる」という建築哲学につながった“梼原での刺激”について、多くを語った。内容を詳報する。

■やり直そうと■
 隈さんが梼原町を初めて訪れたのは1987年だった。

 「(木造芝居小屋)『ゆすはら座』を最初に見て、木に囲まれた空間に圧倒される思いがしまして。『ああ、こういう空間を私は欲しかったんだ』と。木を大事にして生きるということが私の建築の哲学のベースで、それを教わったのは梼原と言っても過言じゃありません」

 1990年代に入り、隈さんの木造建築第1号となった「雲の上のホテル・レストラン」を手掛ける。

 「バブルの時の東京の建築は“形の建築”だったんだけど、そうじゃないやり方がないかなって思ってる時に、梼原でいろんな職人さんや素材に出会えた。自分の知らない素材が世の中にたくさんあることが分かって、『こんな深くて豊かな世界が建築の中に残ってたんだ。これは建築をもう一回真剣にやり直そう』と思った」

■人間がいる建築■
 梼原町での仕事は隈さんに大きな影響を与えた。

 「梼原では、東京の工事現場と全然スピード感が違う。東京だと職人さんとゆっくり会って話を聞く時間なんてなかった。梼原では『こんな職人がいるから会ってみない?』って話をみんながしてくれるから、地元の紙職人や須崎市の竹職人に会って。彼らから話を聞く時間がたっぷりあった」

 「建築の後ろには人間がいる。材料の後ろには作ってる人間がいる。そういう人間に梼原で出会えた。当たり前のことだけど、これは僕にとってはすごい大きい体験。東京の建築現場には、お金の計算はあるけど人間がいないっていう世界だったから。『ちゃんと人間がいて、人間がつくれるんだ』っていうのがとてもうれしかった」

■つながっている■
 梼原町での経験は、今回の新国立競技場のデザインにつながっているという。

 「人間と人間の関係から技術がスタートする、技術が人間と人間をつなぐものになるってことを梼原で学べた。それがバブル崩壊以後1990年代の、私の建築の原点になった。単に木を使うという話ではなく、技術の新しい可能性、技術が人間のコミュニケーションの媒介として大きな可能性を持っていることを学んだ」

 「最初に木に出会ったのはこの梼原町。それから20年間くらい『木をもう一回建築に取り戻す』ということをやって、最終的に新国立で提案できた。そういう意味では、梼原から新国立までは一つの流れでつながっているわけです」

カテゴリー: 文化・芸能高幡


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