2021.08.08 08:38
ちいきのおと(32)新本町2丁目(高知市)高砂湯サウナで「おうっふ」ディープさ五つ星、全国の愛好家が注目
先代が据えた農業ハウス用のヒーター=左奥。ぶわっと汗が噴き出る
世はサウナブーム。「サウナー」と呼ばれる全国の愛好家たちの間で、銭湯「高砂湯」の2階にある男性用サウナが注目を集めているという。武骨な農業ハウス用のヒーターで熱した体をキンキンの水風呂で冷やし、「慣れたら家の風呂にゃあ入れん」(常連男性)とか。開店直後の午前9時。常連に交じって、あぐらをかいてみた。
シュー、ジジッ。シューー…。金属管から蒸気が噴き出す。6人ほどが座れる空間。テレビの五輪中継がにぎやかだ。
右手前が水風呂。水温16度。しっかり体を冷やせる
早朝から「現場」で働くという筋肉質な40代は「昼休み代わりのルーティン」。顔をほてらせた、学習塾の30代の先生は「おしゃれな施設は敷居が高い。こっちが落ち着く」。
ただ、サウナ初心者の記者はふらふら。感じるのは疲労のみだ。
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経営者の浜田教孝さん(49)によると、2階にサウナができたのは1977年。農家だった父の故・富(ゆたか)さんがビニールハウス用の機器を据え付けて始めたという。燃料はガスを使っており、電気式に比べて「パワフルで、ぐっと汗が出る」という。
その独特な設備を、全国に紹介したのが小学館の情報誌「DIME」(2019年7月号)だ。全国のディープなサウナ10カ所を選んだ際、最高の五つ星で高砂湯を紹介。「見るだけでグッときて、さらに肌にもグッとくる。これが日本のサウナだ!と世界中に知らしめたい」と絶賛した。
今年6月には同社の専門誌「サウナー」も「超オリジナルサウナ」「熱気が爆発するような体感」と手厚く紹介。全国のサウナーに存在が知られ、県外からも客が訪れるようになったという。
昭和の趣を伝える、夕暮れ時の高砂湯
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通って5日目。サウナの後の水風呂で、恥ずかしげもなく「おうっふ」と声を出せた。
湯船に漬かると、窓の向こうにマンション建設のクレーンが動いている。広い通りを、自動車がひっきりなしに行き交う。一帯は1996~2015年に県市が行った区画整理により、大きく姿を変えた。サウナのなじみ客も徐々に減ったが、近年は少し持ち直しているという。
初日こそ「体質に合わない?」と不安になったが、3日目には慣れた。熱波と水風呂、常連客が集う温かな空間にいとしさを感じた。
人間っていいなあ。(報道部・八田大輔)
《自慢のイッピン》
旧呉服店でゆったり「コースの洋食ランチ」
かつて呉服店だった日本家屋でゆったり、洋食のコースランチが楽しめる「萩の家(や)」。店主の小野茂久さん(79)が娘の家で始めた店だ。
長く、高知地方裁判所前でレストランを切り盛りしていた小野さん。年齢もあって店は2011年末で閉めたが、長女夫婦が住む家の趣に刺激され、「また、やりとうなった」。茶室などを使い、翌年5月に妻の節子さん(74)と完全予約制の店を始めた。
自信のメニューはミートローフなど肉料理で、この日のメインは和風ハンバーグ。自作のみそを使ったソースで、ご飯が進んだ。
ランチはスープや前菜、デザートなどが付いて2千円。ステーキコースは3千円。午前11時~午後2時。月、火曜定休。
《あの日あの時》
1985年 赤十字病院の本館落成
高知赤十字病院本館の完成を伝える、1985年4月19日付本紙記事の写真。「地上7階、冷暖房付き」の見出しで掲載された。
同病院は1928年、日本赤十字社高知県支部療院として、木造の「病舎」で開院。救急救命センターなどの増改築を重ね、この場所で長く、本県医療の中核を担ってきた。
現在の秦南町1丁目に移転したのは2019年5月。施設の老朽化や南海トラフ地震時の長期浸水への対策などが理由だった。
旧病院の近くで60年ほど美容室を営んできた佐竹幸子さん(82)は「高度成長でどんどんにぎやかになって、ぱーんと消えた。あっぽろけ。めまぐるしく変わったねえ」。跡地には、マンションなどが建つ予定だ。
《ちょっとチャット》
谷脇穂岳君(10)江陽小4年
近所の公園が大好き。近くにいっぱい友達が住みよって、いつも鬼ごっことか、笛吹き鬼とかして遊んでます。あ、きょうはお父さんから出されちゅう、夏休みの“宿題”を忘れちょった。お父さんはサッカーチームのコーチをやりゆう。やき、夏休み中に、リフティングを100回できるよう練習してます。
新本町2丁目はJR高知駅の北東に位置。地区の一部は、JR高知駅と鉄道の高架化に合わせ、県市が1996~2015年に実施した区画整理事業で大きく姿を変えた。21年7月1日現在、447世帯、720人。