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2008.03.17 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』田んぼに浮かんだボール

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高岡郡四万十町の替坂本付近


 女の子のおじいさんは、その中学校の周りに田んぼを持っていた。
 
 広い校庭ではあったけれど、野球部とバレーボール部、ソフトボール部が一緒に使っていたため、白球がよく田んぼに飛んできた。緑の稲が水に姿を映すころは、ボールを取りに入ってぐちゃぐちゃになってしまったから、中学球児たちは女の子のおじいさんによく怒られていたらしい。
 
 女の子の家は学校のそばにあったから、「スモックのような」制服を着て、げた履きで、砂利道を歩いて通った。
 
 毎朝離れた所からぴかぴかの自転車に乗ってくる生徒たちをうらやましくも思ったのは、あこがれの先輩も自転車で通っていたからかもしれない。背が高くて、細面だった1学年上の男の子。日が暮れるまで、校庭でボールを追い掛ける野球部員だった。
 
 ある夏休み。学校で合宿する野球部を手伝った。先生に頼まれたということもあったが、先輩がいるから行ってみようと思い、保護者たちに交じって、練習着の洗濯をしたり、「肉をよけ入れちゃってくれ」と先生に言われながら、カレーのような肉料理をよそったりと食事の準備をした。合宿中の数日間。ほんの少しだけ、先輩を身近に感じた時間だったが言葉を交わすこともなかった。
 
 バットを振ったり、走ったりする姿。自転車に乗って下校する姿を、恥ずかしくてちらっちらっと目で追うだけの時間は流れて、とうとう一言も話をすることなく、先輩は卒業し町外の高校に進学した。

     ◇
 
 「恋愛した人がうらやましいわね」。そう言ってあははっと笑う顔が、とてもあったかいのは、恥ずかしがり屋の女の子だったせいこさん(65)。県外の短大から帰ってすぐ、お見合い結婚をしたそう。「今やったら走っていって手つなぐけどね」とせいこさんはまた笑った。
 
 中学の卒業以来、あこがれた先輩には1度も会ったことはないし、その人の話が耳に届いたことも無い。でも50年以上前に白球を追い掛けていた初恋の先輩のことを「名前は今でも覚えちゅう」。そう話す横顔は、長い時間を飛び越えて中学時代に戻っているように見えた。

     ◇
 
 久しぶりに強く降る雨が地面をたたく。道ばたに咲いた菜の花の小さな花びらは、大粒の雨に打たれて震えている。
 
 34年前まで、生徒たちのにぎやかな声が響いた場所では、高幡地域や須崎方面から切り出された材木が集められて、月2回行われるせりを待っている。フォークリフトが忙しく動き回って、たくさんの丸太を選別している。
 
 曇り空のすき間から、少しだけ光が差してきて、雨が柔らかくなった。材木を荷台いっぱいに載せたトラックが滑り込む入り口の横で、かつて中学校があったことを、びしょぬれになった小さな石塔が知らせていた。(飯野浩和)

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