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2008.03.03 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』工場わきのネギ畑

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須崎市押岡のセメント工場


 ごぉーぐぉーと低い鳴き声のような音を鳴らす、大きなセメント工場へ昼食を終えたふうの従業員が、自転車で帰っていく昼下がり。工場が見える小さな畑で、水をまくおじいさん。青いジャンパーが土の色に映えている。水が多いのか、畑の土がくぼんで、ネギが大きく傾いたりしているが、おじいさんはあんまり気にしていない。あいさつすると「ちょっと待ちよりよ。水止めてくるき」。畑の端にある蛇口へ歩いていった。
 
 コンクリートに腰を下ろしたのは、いずみさん(87)。50年前、畑からもよく見える大きなセメント工場ができたとき、農業をしていたいずみさんは誘われて工場に勤めに出た。「年がいっちょったけ、どうしようかと思うたけんど『どうぞ来てくれ』言われたき」
 
 工場が建った場所は、元はほとんどが田んぼ。いずみさんの田んぼも一部がそこにあった。土地を手放した農家や地区の人たちが工場に勤めた。「ものすごい人がおった。200人ばあやろうか。昔はここらの人間が40人は行きよったけど、今は5、6人しか行きやせん」
 
 セメントは原料の石灰を、砕いたものを焼いて作る。いずみさんは砕いて粉になった原料に、水を混ぜて団子状にする仕事を担当した。「適当な大きさの団子にするのが難しい。うんとええ団子作っちゃらんと、焼き手が怒りだす」。そうして、焼き上がった原料がセメントの元になる。「焼き手に迷惑掛けんように、うまいこと団子ができたら楽しい」と、かつての職場に目をやる。

        ◇
 
 いずみさんが結婚したのは昭和21年夏だった。ミャンマーやタイを転戦し、ベトナムで終戦。そのまま1年近く収容された後、ようやく帰国したばかりだった。「部隊は飢えや病気で、みんな死んでしもうた。わしは貧乏で育ったき、何とか生きちょった」と言う。
 
 婿養子に入ったいずみさんのおしゅうとさんは釣り好きで、すぐに磯へ連れ出した。「ええ釣らざったけんど、初めて行った時から、病みついてしもうた。何の楽しみもなかったきね」
 
 集落の南にある山を越えて、2人で海までよく歩いた。磯に立ち、小さなカニを餌にブダイを釣った。竿(さお)は竹の手作り。「節のつんだ、寒竹(かんちく)じゃないといかん」といずみさん。
 
 おしゅうとさんと、寒竹の生えている新荘川の河原に採りに行き、教わりながら竿をこしらえた。切った竹を乾かし、釣り糸を通す輪を付ける。
 
 時々は1人でも海に通うようになったころ、おしゅうとさんが波にさらわれ、命を落とした。「磯でとられた。捜すに人に迷惑もかかっちゅうし…磯は怖いけね」。それから10年間、いずみさんは竿を握らなかったという。
 
 「もうえいかね」。いずみさんはそう言って腰を上げ、畑に転がった2本のくわを手押し車に積んだ。「ありがとう」。優しい笑顔を置いて、歩きだした背中が小さくなっていく。傾いたネギが風に揺れていた。(飯野浩和)

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