2007.12.10 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』テニモパン

 高岡郡四万十町仁井田付近
高岡郡四万十町仁井田付近

 国道56号沿い。高速道の延伸工事に伴い、三角形に削られた山肌があちこちに見える。巨大なトラックが土煙を上げ、クレーンが天に伸ばした腕を回す。
 
 ここは、高速道の橋脚を建設中の、とある谷あい近くの集落。仁井田米の産地でも知られる土地。鈍(にび)色のトタン小屋のわきで、きよちゃん(83)が背を丸め、ブオオブオオと電動ノコを走らせている。
 
 足元には、割られて、30センチほどの長さに切りそろえられたヒノキ。道路工事の影響で、根を断たれ、枯れ始めた木をまきにしているところだ。「40年ばあ前に植えた。太りゆう盛りやったけんど。まあ、補償はしてくれるようやし。使わにゃあ、もったいないけん」
 
 小柄で、がっちりした体格。人生3度目の禁煙中のきよちゃんは「昔ほど食えんのに」、以前より少し太り、ズボンのサイズが合わなくなったと笑う。
 
 幼いころ。産地といえど、米は現金代わりにもなる貴重品。そうそう口には入らなかった。近くの山で柿を採り、クリを拾って腹を満たした。
 
 小学校を出て、高知市内のガラス屋に就職。数年で「いやんなって」、広島県呉市の旧日本海軍の軍需工場へ。潜水艦の部品を作っていた。
 
 戦中の食糧難の時代。とにかく、腹が減って仕方がない。ある休日。食料探しに、呉の町を友人3人で歩いた。
 
 と、遠くの看板を見た友人が叫んだ。「テニモパン! パンがある!」
 
 それまできよちゃんは、パンの名を聞いたことがあっても、食べたことはなかった。パン、パン。息を弾ませ、友人と看板の方へ。だけど何だか様子がおかしい。まじまじ見れば、「テニモツウンパン」。みんな、がっかり。大笑いした。
 
 その後、召集され九州の陸軍へ。数カ月で終戦を迎えた。実家に戻り、国鉄に入った。自宅近くの駅で、まず蒸気機関車用の石炭かきの仕事についた。
 
 10トン貨車で運ばれる石炭を、大きなスコップで炭台へ移す。毎日、もくもくとスコップを振るう。「放った炭が、だんごになって落ちな、いかんがじゃ。バラバラに放ると、炭台に届かん。こつは、しゃくり上げるように投げること」
 
 冬でも、汗まみれになる重労働。「石炭いうたら、おおかた石じゃもん。そりゃ重い。泣きたいようなかった」
 
 腹が減ると、駅のストーブに石炭をくべ、飯ごうをかけた。「ごはんだっけ、一度に3合ばあ食べた。ようあんなに食うたもんじゃと、今は不思議なが」
 
 カタン、カタタン。遠くから、汽車が刻む柔らかなリズムが届いた。
 
 聞き耳を立てていたきよちゃんが、ふと、水をすくうように、左手のひらをすぼめ「でも、今じゃ、これっぱあしか食べれん」。ひっそり笑った。
 
 凍えるような風が吹き、かさかさとイチョウの葉が飛んだ。
 
 高速道の工事現場。まきになったヒノキが植わっていた場所には、柿やクリの木を植えた。「みんな貧乏したし、ひもじい思いしたきね。今の若い子は見向きもせんけんど」「草も生えんしね」
 
 数年後には実を付けるという。(吉良憲彦)

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