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2007.11.26 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』遠い川の記憶

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宿毛市和田周辺


 ずぉずぉーっ。せき止められた川の水が、小さな滝のように流れ落ちる。えさを探しているのか、真っ白なコイがふらふら泳ぎ、シラサギがじっと川面を見つめている。
 
 夕方少し前の土手。腰を下ろして眺めていると、せきの方から下流に向かって、歩いてくる小柄な人の姿。ゆっくり距離が縮まって、足を止めてくれたおばあさん。
 
 92年前、この町で漁師の娘に生まれたそう。背筋を伸ばして歩く姿と、つやつやした顔色に、年齢を聞いて驚くと、あははっと笑うおばあさん。「足から先、弱りますからね」と毎日、この土手の上を歩いていることを教えてくれた。
 
 「わたしらぁが子どもの時は、夏になったら、エビは捕れるし、わいわいゆうてそりゃーにぎやかでしたよ」とおばあさんは遠い川の記憶を思い出す。
 
 16歳のころから神戸に出て「大きな会社の社長さん」の家で、お手伝いさんとして働き、23歳の時、同郷の男性と結婚した。そして3年が過ぎるころに始まった戦争。会社員だったご主人との間に2人の子どもも生まれていたおばあさんが「終戦のちょっと前、寒いときやった」と記憶するころ、空襲の激しくなった神戸から、ご主人の会社の社宅があった明石に疎開した。そして自分たちの暮らしていた所が「2、3日してみんなぁ焼けたらしい」と後から聞いた。
 
 疎開先でも「解除になったからご飯食べようかなぁと思ったら、また空襲警報が鳴りよった」。ご主人は、警報が鳴ると会社へ行く。おばあさんのおなかの中には3人目の子どもが宿っていたが、幼い2人の子どもの手を取り「鉄道の下の暗きょに走りよった」。真っ暗な穴の中で「伏せ、するがですよ。布団をこうかぶって」とおばあさん。「わたし、顔上げたら爆弾が落ちてきようがですよ。はるか向こうに落ちるがに、地面が揺らぐがですよ」。ある夜、大阪の空襲を明石から見たそう。「満天の星空が、ばぁっと一遍に落ちたみたいに焼夷(しょうい)弾が落ちた」と当時を思い出して少し顔をしかめた。
 
 終戦後すぐに夫婦の故郷に帰ってきた。「宇和島に着いたがですよ。でも全部燃えてしもうて、どこがどこやら分からん」。帰る方角が分からない一家を地元の人が泊めてくれた。
 
 生まれた町に帰ってくると「田舎には食べるもんがあった」と話すおばあさんだったが、神戸や明石にいたころは「そりゃー食べるもんが…口に入るもんやったら何でもえい」と苦しかった時代を振り返り「今の人には想像つかん。食べるもんを粗末にしたらいかん」。
 
 まばらに生えたススキを、冷たい風がゆらし始めた。「今まで病気したことない。それだけは毎日ありがたい。毎晩寝る時は手を合わせて寝てますよ」と笑ったおばあさん。伸ばした背中で、後ろ手に組んで歩く姿が、ゆっくり小さくなった。(飯野浩和)

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