2007.11.19 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』モジャコ船浮かぶ海

 須崎市の野見湾
須崎市の野見湾

 暖かい色を混ぜた山の緑に囲まれ、静かな海は、小さな島のような養殖イカダを、たくさん浮かべている。
 
 港の船泊まりでは、漁から帰ってきたのか、船の上で片付けをしている男性。「わしらぁが子ども時分は人もよけおったのに、今らぁ子どもがおらん。子どもが泣きゆうのも聞いたことがない。たまになきゆう思うたら猫や。年寄りと猫ばっかりになった」。そう言って船のへさきに腰を下ろしたのは、衣斐(えみ)俊雄さん(74)。
 
 沖に浮かぶいくつもの漁船を指さして、「モジャコを捕りに出よった船よ」。エンジンの音が消えて長い時間がたった船たちが、かつて東は紀伊半島、西は屋久島の方まで、ハマチの幼魚を捕りに行ったことを教えてくれた。
 
 漁師だった父親を病気で亡くしたのは、小学生だったとき。戦争が終わった年の冬だった。衣斐さんら残された5人の子どもたちを、母親とすでに海に出ていた8つ上の長男が支えたそう。「みんなぁ貧乏しよったきねぇ。何とかかんとか生きてこれた」と、ははっと笑う。
 
 16歳から海に出た衣斐さんは、網船でイワシを捕り、20歳で湾内にあった真珠会社に勤めた。その後、独立したが、寄生虫で貝が死に、3年ほどで廃業。結婚したばかりの衣斐さんは、途方に暮れたが、網や餌の業者に頭を下げ、ハマチの養殖を始めた。「網を借ってきて、餌を借ってきて、大変よ」
 
 ハマチ養殖を始めて3年が過ぎるころ、今度は大きな台風がやってきた。一変した湾の風景。安和や須崎の浜にうち上がったイカダや網。幸いなことに衣斐さんのイカダは無事だったが、「くわを提げて浜に網を掘りに行った人もおる」という。湾内では逃げだしたハマチが泳ぎ回った。「手突っ込んだら、ハマチががぼがぼ指くわえよった。やれるかや。おかで豚飼いよったら、自分のやきって言えるけんど、海へ逃げていったもんは人のもん」「わしんくのは助かった。それこそ神様仏様言わないかんばぁ、財産全部入っちゅう。流れちょったら、今生きちゅうやらどうやらわからん」
 
 ハマチの景気は10年ほど続いた。「ちょうど子やらいの最中やったし、軌道に乗ってくれて。家も建ったし」。モジャコ船が活躍した時を思い出しながら、海に目をやる衣斐さん。
 
 ハマチの後、20年近くタイを養殖し、2人の子どもを育てた。引退は7年前。長男は後を継ぐと言ったが、衣斐さんは「漁師らあやめちょけ。おかで銭とったほうがえいゆうてやめさせた。多難な人生やったき」。
 
 天気が良い日は、海へ出て釣り糸を垂らす。「あこの所へ行ったら、イカがおるとか空想するろう。パチンコよりずっと面白い」
 
 山の陰に隠れ始めた太陽が、潮焼けした漁師の顔を染める。「今が一番ええ時季やないかなぁ」。ぼぼーっとエンジン音を響かせて出て行く小船。色づいた小さな波にモジャコ船が揺れていた。(飯野浩和)

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