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2007.11.12 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』杉の西さん

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長岡郡大豊町杉


 山の中腹で、青空が広がった。稲が刈り取られた段々畑は、何だかこざっぱり。向かいの山に、いくつかの民家が見える。白い車が坂道を上っていく。
 
 視線を戻すと、目前に色あせたオレンジの革の腕抜き、地下足袋に作業着の男性の後ろ姿。杉本輝秀さん(68)。家の裏へ、ユズを採りに行くところだった。

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 八坂神社の「日本一の大杉」で知られる杉地区。平家の落人が流れ着き、22代を数えるという。名前ではなく、互いを屋号で呼び合ったことは、一定年齢以上の人に共通の記憶だ。
 
 杉本さんの屋号は「西」。頭に地区名を付け「杉の西」さん、となる。これで通じる。例えばこんなふう。
 
 電話をかける。「あー、杉の西じゃが」。相手は「あー、てるやんかよ」。
 
 子どものころ、お使いで杉の町に買い物に出る。「おばさん、西じゃが。これとこれ、かまんかよ」「あー、持ていちょけや」
 
 家には、○に西の焼き印もあった。木おけなどを貸し借りしても、印で杉本さんの家のものと分かった。
 
 「お町の人にはないろうけんど」。杉本さんがにこやかに言う。「ここの生え抜きの人にはあるのよ」。モトヤジにウワナル、ヌルイにミナンボリタ…。あの家、あの林の向こう。あちこちを指さしながら、次々に屋号を挙げていった。
 
 だが、今や屋号を使う機会はめっきり減った。土地を離れる人も少なくなく、家の周囲や町中には空き家も増えた。
 
 かつて父親は言った。「出て行ったらいかんぞ」。家を守れ。杉本さんは毎日、ここから高知市内の会社へ通った。ここで暮らし続けた。

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 杉本さんは6年前から、地域活性化にと、地元の人と「大杉まつり」を始めた。訪れた人に、しし鍋などを振る舞う。背景には、こんな記憶がある。
 
 20年ほど前のある日。あごひげを伸ばした神社の宮司さんが来た。故釣井正亀さん。くせは強いが、とにかく世に大杉を広くPRしていた人。かつて、杉本さんの学校の先生でもあった。
 
 「わしを手伝うてくれんか」と言われた。杉本さんは困惑した。「先生。言うたっていかんわよ。先生は恩給もろうてやりゆうが、わしは生活が掛かっちゅう。子どもも、まだこまい。先生と同じようにはできん」。「そうか」とだけ返ってきた。
 
 数年後、釣井さんは亡くなった。「手伝えんと、わしは逃げ出した」。やりとりが心に残った。
 
 今は、大杉を売り出そうとした釣井さんの気持ちが良く分かる。「3千年たっても大杉は、枝を伸ばしゆう。わしらも半歩でも、一歩でも、前に進むようにやりたい。できるだけやってみたい。ここで暮らして生きちゅうと、みんなに伝えたい」。ことしも、25日の祭に向け、地元の準備は進んでいる。
 
 すっかり日が落ちた。薄闇の中、杉本さんがユズを採り始めた。黄色い玉が輝いていた。車のライトを付けて帰った。(吉良憲彦)

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