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2007.11.05 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』「宴所」のお嫁さん

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幡多郡大月町の柏島


 小高い山のふもと。幡多郡大月町弘見の、とある民家は「宴所(えんしょ)さん」として、昔から住む近所の人には知られる。古くは庄屋の分家で、秋になると、収穫を祝ってもち投げし、ごちそうを振る舞う「宴の場所」だった。
 
 30年前、23歳の逸代(いつよ)さんは「宴所さん」に嫁いだ。町役場に勤める、7歳上の豊治(とよはる)さんに見初められて、だった。
 
 いつごろから、この家が「宴所さん」と呼ばれるようになったのか、分からない。ただ、この辺りに昔、落ち武者が住み着いたことがあるという。「宴所さん」はその子孫になるらしい。歴代の家人は毎年旧暦の9月25日になると、宴(うたげ)を開き、地域の人を招いて酒や食事を振る舞った。
 
 豊治さんは「宴所さんの日」に限らず、普段から多くの友人や同僚を家に招くのが好きな人だった。酒を出し、自分で包丁を握り、刺し身や鍋を振る舞った。「酒の席らあ、慣れてなかったけん、最初はしんどうて」。夫婦は「宴所さんの日」に30人をもてなし、娘4人が生まれると、娘とその友達にもち投げした。
 
 お客さんが来る前は、よく夫婦で竜ケ迫や柏島の海へ食材探しに出掛けた。ごつごつした岩礁を、逸代さんは手を引かれて歩き、2人並んでグレやモイカを釣った。「釣れるかねえ」「どうやろねえ」。ぽかぽか陽気の中、釣りに集中する豊治さんの横で、逸代さんは途中から貝を探したり、うとうとしたり。
 
 4年前、娘4人が町を出ると、豊治さんは思い立ったように、離れの倉庫を改装し始めた。7畳の部屋に、大きな木の机を置き、長いすで囲った。壁に竹を並べて背もたれを作り、いろりを置いた。そこは「おもてなし」の部屋だった。
 
 お客さんを呼ぶ回数は増え、必ずその部屋へ招いた。友人で部屋はいっぱいになった。豊治さんは酔うと何度も、幼かった末娘と大きなウナギを釣った話をし、「『お父さんは釣りの日本一になれる』言いよったわ」と笑った。横で逸代さんも毎回うなずいた。
 
 来客のない日、2人は毎晩、その部屋で夕食と晩酌をするようになった。「先にお父さんがグラス冷やして待ちよって。乾杯の時に2人で『今日もごくろうさん』言うて」。豊治さんは、よく昔の恋愛や青年団の話をした。「酔うちょうのを見計らって聞き出すんよ。『そんなことがあったがとねえ』言うて」。結婚から20年以上たって初めて聞く話に、逸代さんは苦笑したり、うれしがったり。夏は竹の背もたれが涼しく、冬はいろりで暖まった。
 
 今年9月、その部屋から明かりが消えた。豊治さんは60歳で亡くなった。逸代さんは部屋に入れなかった。
 
 1カ月後。納骨の日に、娘とその家族、友人らが集まった。「お客さんが来たがやけん」。逸代さんは夫がいなくなってから初めて部屋に入り、明かりをともし、生前の笑顔の写真を置いた。その夜、部屋からは遅くまで笑い声が聞こえ、明かりはやさしく部屋を照らした。(福田一昂)

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