2007.07.09 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』フッ子のおねえさん

 鳥形山の石灰石鉱山
鳥形山の石灰石鉱山

 がたん、どこん。未舗装の山道を走るバスの中で少女は眠っていた。揺れる車内でいすから落ちないように差し出された祖母の腕。夢のような、幼いころの記憶。

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 吾川郡仁淀川町の山奥。かつて鳥の形をした石灰石鉱山がある山を登っていく。強い雨音に混じりトン、トンと軽快な音が聞こえてきた。音の先に女性の姿が見えた。ヘアピンで前髪をとめたフキさん(67)は、母屋わきでジャガイモを切っていた。かたくり粉を作っているという。
 
 フキさんは、愛媛県の宇和島の出身。3男5女の8人きょうだいの末っ子として生まれたが、その20日後、父親は胃がんで亡くなった。
 
 母親は1人で8人の子を育てていたが、フキさんが4歳になったころ、祖母が「8人を1人で育てるのは大変。1人ぐらい妹に育ててもろうたらいい。妹やったら安心やろう」と、子どものいない叔母の養女に出すことを決めた。
 
 当時は叔母が暮らしていた東津野村(現津野町)まで、バスと徒歩で日吉を経由して2日がかり。その道のりを幼いフキさんは、祖母と叔母に連れられていった。「寂しかったような感じもあるねえ」とフキさんは幼い記憶をたどる。
 
 フキさんを一番かわいがったのは7歳年上だった姉のチエさん。妹が古里を出たとき、学校に行っていたチエさんは「おっかあ、何でやった? これから日吉まで行く。絶対連れて帰る」と妹がいないのを知って怒った。
 
 そして「お父さんがおったら、やるんじゃなかったのに」と言って、一緒に妹をかわいがった隣の同級生と、毎日泣いていたそうだ。
 
 数年後の夏、母親と姉たちは、フキさんに会いに東津野にやってきた。成長したフキさんを見て母親は、「うちにおったら大勢の中で、こんなに大きくならんかったかもわからんよ」と涙を流したが、チエさんは「フッ子もなあ、浜じゃったら、すぐに海で泳げるのに。ここやったら川に入ったら下へ流れていってしまうからいけんのう。誰がこんな所につれてきたんじゃあ」と気持ちをぶつけた。母と養父母は黙ってその言葉を聞いていた。フキさんは、今でもその場面を覚えている。「おねえさんは、わたしの髪を毎日丸う結ったり、リボンつけたりしてかわいがってくれた。本当に悲しかったのやろう」
 
 フキさんは結婚して東津野から夫の里の旧仁淀村に移り、30年以上が過ぎた。地元の建設会社に勤め、鉱山で働いた夫も定年になり、ゆったりと2人の時間を過ごすフキさん。
 
 今も宇和島で暮らす姉のもとへ、山で作った野菜などを持って、車のハンドルを自分で握り、毎月のように訪れる。フキさんが作る小さなジャガイモのみそいためが大好きな姉。「フキさんが作る田舎の料理はおいしいなぁ」と言って喜ぶ。「おねえさんの顔を見て、いろいろ話すのが楽しみ」とフキさんは笑う。
 
 古里の海から遠く離れた山の中。緑を隠していた白い霧は、いつの間にか晴れていた。(飯野浩和)

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