2007.07.02 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』ちーちゃんのソフト

高知市梅ノ辻
高知市梅ノ辻

 いすに腰掛けたまま、ちーちゃん(76)は眠っていた。客のいない店。テーブルの上で重ねた腕に、白い三角きんの頭をもたせかけ、クウクウ。つけっ放しのテレビの中でタレントがけたけた笑い、古ぼけたちっちゃなエアコンが、ふう、はあ、息を吐いている。ガラス戸の向こう、路面電車の走る音が聞こえていた。
 
 ちーちゃんは女学生だったころ、列車通学だった。京都の福知山。もくもく煙を吐く機関車に引っ張られて約20分。少女たちは乗り合わせる他校の男子生徒たちと、そっと手紙のやりとりをした。戦争が終わったばかりのころのことだ。
 
 おとなしいちーちゃんにも、黙って手紙を差し出す人がいた。うれしくて返事を書いた。とりとめのない内容の手紙を朝の駅や列車で交わした。恋にもならない淡い交わり。もらえれば返事を書いたから文通相手はいつしか3人になった。でも本当に好きな人ができたとき、ちーちゃんは恥ずかしくて手紙が渡せず、文通はできなかった。
 
 小さな町にはダンスホールがあった。ちーちゃんは学校帰りによく友達と細い階段を駆け上がった。押し合いへし合いドアのすき間からのぞくと、薄い光の中、男女が手をつないで踊っていて、ちーちゃんたちは息を抑えて見詰めた。学校は男女交際に厳しかったが、友達は文通相手たちと映画館などにこっそり出掛けた。ちーちゃんも同じようにしたはずだが、どんな映画を見たのか、60年近くたった今は、思い出せない。

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 テーブルでほんの少し寝入っていたちーちゃんが目を覚ましたとき、店のソフトクリームの機械は黙り込んでいた。家庭用冷蔵庫ぐらいの大きさの、使い込まれた銀色の機械。このごろ時折、気付けば止まっていることがある。ちーちゃんは小さな脚立に上がると、上ぶたを開けてのぞき込む。鍋のミルクを足し、かき混ぜた後でスイッチを三つ、ぽちん、ぽちん、立て続けに力を入れて押す。すると眠っていた機械が、ぐおーんと低い音でうなり、また働きだした。
 
 8人きょうだいの末っ子だったちーちゃんは女学校卒業後、養女として高知へもらわれた。好きだった人への思いを断つ気持ちもあった。やがて見合い結婚し、夫と食堂を切り盛りするようになったころ、ちーちゃんは外の人影にドキンとした。文通相手の一人だった。店を出て離れたところで話をした。「あたし、結婚したから…」。そう告げると、相手は「おめでとう」と言い残して去った。「高知へ行くなんてだれにも言わずにいたから、よく探したもんだと思ってね。よっぽど好いていてくれたんだろね」とちーちゃんは言う。
 
 夫は10数年前に亡くなり、味が評判だったソフトクリームの機械だけ残した。今は午前6時に起き、まず1時間かけて機械を丁寧に洗う。材料を仕込み、夜の10時まで店を開ける。休みは気まぐれに取る程度。客が来ない日は、うとうとするちーちゃんの横で、機械も一緒に眠りこけている。とけあえなかったそれぞれの思い。古ぼけた機械はとろとろ、ふわふわのクリームにしてくれるだろうか。(天野弘幹)

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