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2007.06.25 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』オカリナが聞こえた山

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土佐郡土佐町和田


 ぽつっ、ぽつっと小さな雨粒が落ちてくる。土佐郡土佐町の山の中。白く煙った山が、少し寂しく見える。
 
 細い坂道の先で、小柄な男性がこちらを向いて立っていた。まゆ毛がとても長い、つとむさん。山に生まれて、今年で74歳になる。
 
 つとむさんは、11人きょうだいの五男だった。小学校を卒業したころ、近くの伯父の家で暮らすようになった。伯父は2人の息子を戦争でなくしていて、いつしかつとむさんは養子になった。
 
 その家では紙幣用のミツマタを作っていた。秋から冬にかけてが収穫時期。
 
 「夜は薄皮はいで、きれいにして。なんぼ冷ようても、朝は谷に行って、ばさばさっと洗いよった。そりゃー冷やかった」と、つとむさんは顔をしかめる。
 
 凍ってしまいそうな山の冷気のなか、火をおこすこともなく、かじかんだ手で、洗ったミツマタを一本一本干した。
 
 つとむさんは20歳で結婚し、新しい家族ができた。「一生懸命働かにゃあ、子どもは育たん」と、畜産や養蚕、スギやヒノキの下刈りや苗木の植え込みをして、2人の娘を育てた。
 
 草の伸びる夏、雨の中泥まみれになって下草を刈っていると、目の前で雷が光った。「ゴロゴロ、ピカピカ。そりゃもう…若かったきねぇ、できたわ」と笑うつとむさん。右手に持ったかまの刃で、ぽりぽりとひざをかく。
 
 つとむさんには、忘れられない音がある。たった一度だけ、静かな山の中に響いた、優しいオカリナの音色。3年ほど前、教員をしていた長女が、ふらっと帰ってきて「ここならなんぼ吹いてもかまん」とオカリナを取り出した。「学校で子どもに聞かしゆうのか、唱歌のような曲をずっと吹きよった」。つとむさんは、目の前に広がる山並みを見つめながら、「貝みたいなもんじゃけど、ええ音が出ると思うて聞きよった」と話す。
 
 それからしばらくして、夜中に一本の電話が鳴った。長女が倒れたという連絡だった。病院に駆け付けたつとむさんは、病床の娘の姿を「顔色もあんまり変わらん。寝いっちゅうと一緒」。そう思った。「病院にもいっぱい人が来てくれて『寝よっちゃいくまいがよ』いうて励ましてくれよった」とつとむさん。でも、長女の意識は最後まで戻ることなく、10日後に亡くなった。
 
 「また夏休みに来るき」と言って山を下りた娘。それが最後の言葉になった。「むごいけど、どうにもならなぁ。人間の人生は一生終わってみんと、ひとつも分からん」。山を見つめる視線を少しだけ落とした。
 
 目深にかぶった帽子をかぶり直し、「山におったら好きなこともできる」。きれいな白髪と笑顔がのぞく。イノシシ猟やハチミツ採り、近くに住む孫のソフトボールや野球の試合の応援。「今ら、楽しまさしてくれるきえいわ」
 
 牛舎の隣のイノシシ小屋から、鳴き声が聞こえた。「また上がってきいや」。道端の草を刈る姿に見送られて、夕刻の山を下りる。かつて、穏やかな音色が溶け込んだ山の緑を、雨がぬらしていた。(飯野浩和)

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