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2007.06.18 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』父の背中に恩返し

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高知市杉井流周辺


 「もう、今晩死ぬる。おまんらぁ、死んでかまんかよ」。と、父親。朝になって息子は「ゆうべ死ぬる言よったに、死んでなかったねぇ」。父は、「そうかよ。今晩死ぬる予定じゃ」。
 
 農業一筋に生きてきた父親は、90歳を過ぎた。無口でまじめな父を、63歳になった息子は「働くことが趣味のようによく働いた」と言う。
 
 息子は父から農業を継ぐように言われて育った。一生懸命働いている父の背中は、「輝いて見えて、父親とはこういうものやと思った」。
 
 中学生になったころに農業を継ぐと決めた。高校を卒業したとき、「ほかの人は就職しよったけど、僕はすっと(農業に)入った」。
 
 20歳を過ぎ、同じく農家出身の奥さんと結婚した。仕事には厳しかった母親も新婚の2人には優しく、ドライブや旅行に出かける2人を「行ってきいや」と送り出した。二人の子供も生まれ、親から言われる通りにやっていた仕事も、やがて家族を支える役に変わった。農業に携わってはや40年以上がたった。
 
 大きな変化があった。「作る農作物は何でもよく売れた」という高度成長の時代から、「輸入野菜に押されて価格も下がり、消費者の嗜好(しこう)も変わった。昔の野菜を食べんなった」現在へ。そして数年前、昔々から野菜を作っていた久万川沿いの農地が都市計画に引っ掛かった。区画済みの新しい街に3割方小さな換地をもらい、そちらに農地を移した。「農業だけでは生活できん。時代の流れで仕方のないこと」と換地の一部にアパートを建て、不動産経営も始めた。
 
 両親が畑に出ることが少なくなった10年ほど前、父親の様子がいつもと違うことに気づいた。「収穫した野菜の束を数えよっても、よう間違えよったし、やった仕事をまた初めからやり直したり」。軽度の認知症と診断された。父親を介護する生活が始まった。
 
 奥さんとともに、仕事と介護を両立する日々。「前は時々、『稲を植えないかん。畑の草引きに行かないかん』って言いよった。もうようせんのに、染みついちゅうがやろうねぇ」
 
 父親は数年前に脳梗塞(こうそく)を患い、ほとんど寝たきりになった。「『痛い、痛い』ってゆうき、どこが痛いか聞いたら、『ここから血が出ゆ』。血なんか出てないけど、そうや、そうやと相づち打っちゃったら、すごく落ち着く」
 
 歌が好きな父は、今でも息子のリクエストに応えてくれる。
 
 「『そんな昔の歌は知らん』と言いながら、桃太郎とか金太郎とか童謡を歌う。ヘルパーさんや、近所の人も、面白いねぇと言うてくれて…」
 
 「人は介護が大変やろうってゆうてくれるけど、自分の親やし、そんなには思わん。それより本当に世話になったし、遊びもせず仕事ばっかりで、大変やったと思う。恩返しというか、感謝の気持ち、それだけ。あのおやじやったら、3人でも4人でも、おってかまん」
 
 新しい街の小さな畑。帽子の下で穏やかな顔が優しくほほえんだ。(飯野浩和)

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