2007.05.21 08:00
『本城直季 おもちゃな高知』バイク屋のつねさん
見上げると、灰色の雲に覆われた空。平日の昼下がり、産業道路に接続する片側2車線の新しい大道路「はりまや町一宮線」を歩いていくと、道沿いにバイク屋さんを見つけた。初老の白髪の男性が奥に座っていた。
「おいっ子がやるゆうて出した店よ。わたしは、そこの橋(比島橋)の近くでやりよった」
愛媛県の柳谷村(現久万高原町)出身で今年61歳。名前は、つねさん。
「ソフトボール大会やらなんや、仁淀村の人間とよう一緒にやった。ええ人がいっぱいおった。秋葉まつりにも毎年行きよったよ」と話すつねさんは、18歳のときに松山に就職した。
7年ほど松山で過ごしたあと、比島橋の近くでバイク店を営んでいた叔父に呼ばれて、高知にやって来たそう。「お酒が好きで、飲んじゃあ悪いことしよったき、高知へ来いって言われて」と笑う。
ボウリング場に勤めた後、叔父のバイク店で2年ほど働いたが「手の汚れる仕事が嫌やった」と辞めてしまった。
1年ほど後、跡取りのいない叔父に「つね、もう1回やってみんか」と誘われた。「最初にやってから少し分かっちょったき、そのうちバイクいじるのが面白うなって」というつねさん。6年前、叔父が83歳の時に病気で倒れるまで、長らく一緒に店を営んだ。
叔父は今も入院中。「人がようて、何でも『よっしゃ、よっしゃ』というのが口癖。元気な人で、倒れるまでわたしよりも働きよった」と言う。20代で父親を亡くしているつねさんは、叔父と一緒に働いた長い時間を「おやじと仕事しゆ感じやろかねぇ」と振り返る。
◇
自転車を押しておばあさんがやってきた。どうやらブレーキが壊れたようだ。慣れた手つきで、ささっと修理するつねさん。
「道もできて、きれいにはなったねぇ」とおばあさん。つねさんは横で手を動かしながら言う。「こないだ、昼飯でも買おうとこの辺、ぐるぐる自転車で走ったけど、お店がないがよ。前はいろいろあったのに。わたしらぁ、コンビニには行かんし、田舎のおばちゃんが作ったような弁当がおいしいと思うけどね」
昔ながらの食堂が姿を消したことに、つねさんは「町はきれいになったのに、便利が悪い。お年寄りが困るはずよ」と嘆いて作業を終えた。
5分後。修理した自転車に乗って帰ったおばあさんが、また戻ってきた。
「ブレーキ直してもろうて忘れちょったけど、このぎーぎーいうところは、いきなり壊れたりせんろうかね」
おばあさんは「買い替えた方がえいろ?」と顔をうかがう。
つねさんは笑いながら、その言葉をはねのけた。「まだまだ乗れる。おかしかったら、またいつでも持ってき」。安心したように、ぎーぎー音の鳴る自転車で去っていく後ろ姿を、つねさんは見送った。(飯野浩和)