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2007.05.14 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』ナイター想う野球少年

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高知市役知町付近の鏡川べり


 やわらかい風。潮の香り。浦戸湾に近い鏡川の堤防を、ジャージー姿の男性がひたひた歩いていく。

 「足、速いで。ついてこれるかい」
 
 タオルを握り、もうすぐ60歳というWさんはふふっと笑った。堤防は往復約2キロの散歩道。大またのWさんは走るようなスピードで足を運んでいく。水色の空で初夏の太陽がニカニカ照っている。
 
 遠い昔、野球少年だった。横浜育ちで、初めてナイター戦を見たのは川崎球場。大洋―巨人のカードだった。当時は客の入りも少なく、ダッグアウトそばの内野席に難なく入れたという。
 
 「中学の友達と一緒に行ったんかな…。そのころ、わたしのお父さんはもう亡くなってて…。巨人の監督は、川上哲治になったか、ならんかのころ」
 
 記憶をたどり、堤防を歩く。海の気配が濃くなり、足早な影がゆらめく。
 
 試合内容や選手のプレーはほとんど覚えていないが、代わりに、緑色にきらきら輝く外野の芝生や照明に心を奪われた。「きれいやったな…。あんなに光に色があるなんて、知らんかった。オレンジや緑。ナイター照明は白だけやないんやね。ほんまにカクテル光線やった」
 
 中学の野球部ではキャッチャー。7、8番を打った。3年生の夏が終わったある日、監督がノック練習をした。ゴロを前進で捕球し、トスで返球するはずだったが、走り込んできた後輩は上から思い切りボールを投げた。右目を直撃した。
 
 「ぼったり、腫れて。医者はね、『冷やして待つしか手がない』って」
 
 視力はやがて落ちていき、Wさんは野球をあきらめた。「まあ、高校でもレギュラーになれたか分からんし。ええ潮時やったかもしれんし」とWさんは言う。
 
 巨人ファンだけは変わらず、名古屋や大阪で印刷機のメンテの仕事をしながら時間を工面しては球場に駆け付けた。
 
 昭和49年秋。甲子園球場。Wさんはフェンス越しに、引き揚げる巨人ナインを見詰めていた。1―0の辛勝だったが、1番を打ち4打席凡退の長嶋茂雄だけは帽子を目深にかぶっている。まぶたを押さえるのが見え、涙が出た。まもなく巨人はV10を逃し、長嶋は引退した。
 
 このとき阪神のサードは若い選手だった。守備のたび、どろに手を伸ばし、ぺろっとなめた。ヤジが飛んだ。「おーい、甲子園の土はそんなにうまいかー、掛布よう!」
 
 Wさんが夢を重ねた選手たちは順に去り、代わりに新たなスターが登場し、また消えていった。
 
 印刷機の会社を辞めたWさんはいつしか高知にたどり着き、ラーメンの屋台を引くようになった。午後に起きだし、夜明けまで働く暮らしを25年間続け、5年前に引退するころには、すっかり腰を痛めていた。体を思い、堤防を歩くようになったのも、そのためだ。
 
 ほぼ毎日という速足の散歩。8キロを歩いた後、夕日を浴びながら足をもみ、「まあ、こんな人生もあって、いいんじゃないかな」とぽそり。あの夜、少年をときめかせたナイターのきらめき。その胸の内で、きっと消えることはない。(天野弘幹)

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