2016.02.24 15:11

小社会 寺田寅彦は1933年の昭和三陸津波の直後に「津浪と…

 寺田寅彦は1933年の昭和三陸津波の直後に「津浪と人間」を書いた。37年前に甚大な被害をもたらした明治三陸津波の教訓が生かされなかったことへの警告の書といってよい。

 「災害記念碑」にも懐疑的な見方をしている。初めは人の目につきやすい場所に建ててあっても、道路改修などで移され、しまいには山陰の竹やぶの中に埋もれないとも限らない。碑石がヤエムグラに埋もれたころに、時分はよしと次の津波が準備される、と。

 東北大の研究グループによる東日本大震災の被害分析で、岩手、宮城両県沿岸部で津波の恐ろしさを伝える碑がある地区は犠牲者が少なかったことが科学的に裏付けられたという。住民に「揺れたら逃げる」意識が強かったからだろう。

 この分析結果を、寅彦ならどんなふうにみるだろう。過去の記録を忘れないようにすることの重要性を繰り返し説いていただけに、うなずきながらも、膨大な数の犠牲にやはり悔しい思いを抱くかもしれない。

 県内にも地震や津波の被害を後世のために記録した石碑が各地に残る。大半が1854年の安政地震を受けて建てられたが、その1世紀半近く前の宝永地震に触れたものもある。寅彦が記すように、地震や津波は執念深くやってくる。

 古い土佐の方言で「しのぐ」「生き延びる」を意味する「いのぐ」。先人の教訓をしっかりと胸に刻み、次の巨大地震を何としてもいのぎたい。
カテゴリー: 小社会コラム


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