2021.01.26 08:39

そして某年某日(1)1994年4月26日 突然変異「奇跡の一本」

 さまざまな人や風景の「ある日」「そのとき」を巡るドラマや物語を紹介します。

27年前の1本から始まったノーブル。採花中の藤原厚志さんが手にするのはノーブルのアイカ。砂糖菓子のような造形的な風合いは魅力にあふれる(写真はいずれも本山町下津野)
27年前の1本から始まったノーブル。採花中の藤原厚志さんが手にするのはノーブルのアイカ。砂糖菓子のような造形的な風合いは魅力にあふれる(写真はいずれも本山町下津野)
世界に一つの花「ノーブル」 本山町・藤原厚志さん
 万に一つもないといわれる生き物の突然変異。その中でも数少ない「個性的に美しく化ける突然変異」―。

 藤原厚志さん(71)は当時44歳。高知県長岡郡本山町下津野のハウスで育てていたスカシユリの中に1本、丸みのあるつぼみを見つけた。

 「慌てて切ることはない。突然変異かもしれない」と2週間ほど待った。そして1994年4月26日。開いた花は肉厚で、クリーム色がかった緑色。ハスの花に似て、花びらはタケノコの皮のように何十枚にも重なる。

 妻の美鈴さん=当時41歳=と眺めた藤原さんは「ユリの印象を変える花になる。育てよう」と即決した。

 その日のうちに農業技術センターの職員に花を渡し、組織培養で苗を作ってもらった。農業公社で1年かけてさらに増やした。

 ◇ 

 藤原さんは江戸時代に農民が蜂起した本山一揆の発生地で知られる本山町北山の細野に生まれ育った。

 風雨が削った傾斜地に家や畑がしがみつくような集落。親は専業農家ではなかったが、藤原さんは地元高の農林科を出た後、コンニャクを育てた。「でも土地は狭いし、それでは暮らせんがよ」

 10代から花が好きで、高校の恩師が授業で言った言葉が忘れられなかった。「高地の嶺北ならリンドウの花が作れるはず」

 当時19歳。50万円を借金し、中古の軽トラ1台と長野産のリンドウの苗5千本を買って育成を始めた。

 その苗は大半が枯れたものの、2年目からは量産に成功。暖地の高知県に初めて、リンドウ栽培の道を開いた。当時の山間の現金収入はコウゾ、ミツマタ、芋…と秋冬に限られていたから、夏に現金が取れるリンドウは家族を喜ばせた。

 30代に入って花作りをさらに磨いた。吉野川沿いにある平たん地の下津野に農地を買い、文通で知り合い大阪・枚方市から20代で嫁いできた美鈴さんとの二人三脚で、濃いピンク色のスカシユリ「サンシーロ」を育てた。

 当時は種苗法が改正されたころで、新種の育成者が品種登録で保護されるようになった。「自分も新種の花にあこがれた。だから突然変異には気をつけちょったのよ」

 農業を始めて25年目の春。秋植えの球根1万個の中から出た1球の花を、藤原さんは見逃さなかった。

 ◇ 

 組織培養で作った苗を大事に育てた。花丈が短くなったり、葉の数が減ったりした。大雨でハウスが浸水、全滅したことも数回。そのたびに残った球根から苗を再生させた。

 2000年6月、新種に認められ、国の品種登録にこぎつけた。花の名は、高貴を意味する「ノーブル」とした。若くして船舶火災事故で亡くなった弟の宣雄(ノブオ)さんと響きが似ることも気に入り、藤原さんが命名した。

 初出荷から大都市の市場で評判を集め、視察が相次ぐ。出荷当初から1本700円の高値がつき、東京・大田花きのある担当者は「ノーブルが入るとユリの相場が上がり混乱する」と苦笑した。

花をチェックする藤原さん夫妻。今年冬の出荷作業は1月半ばに終わった。今は春に向けて準備をしている
花をチェックする藤原さん夫妻。今年冬の出荷作業は1月半ばに終わった。今は春に向けて準備をしている
 現在は2反で、ノーブルから派生したSP、ミミテール、アイカの3種を年4万本ほど出荷する。地域ではほかに3人が栽培に取り組む。「超遠隔・条件不利地」の嶺北の山間奥地から、東京・大田市場へ飛行機便で打って出る、ダイナミックな外貨稼ぎを続けている。

 ◇ 

 27年前の4月26日、藤原さんから持ち込まれた1本の花を組織培養したのは、県職員の野町敦志さん(53)だった。

 当時25歳。「見た瞬間びっくり、たまげた。八重咲きの、見たこともない花」

 その夜は勤務先の農業技術センターに居残り、徹夜で組織培養をした。

 「球根はあっても花は1本しかない。その日のうちにやらないとまずい。寒天の培地を作り、花の中心の辺りから、シャーペンの芯の先くらいの一片を取って植えた。どきどき、わくわくだった」

 「奇跡の一本と思う」と感慨深げだ。

 「突然変異は万に一つといわれる。でもそれは細胞レベルの話で、目に見える形で変わり、しかもよい方に出るというのは、もっともっと少ない確率。作ろうとして作れるもんじゃない。あとにも先にも突然変異の花を培養したのは、あの日が初めて」

 ◇ 

 花の女神は、なぜ藤原さんを選んで舞い降りたのだろうか。

 藤原さんは「花は1本1本全部見る。運がよかったんじゃろねえ。大事な日というたら、その日になる。その日がなかったら、今はなかった」と、いつもの温和な口ぶりだ。(石井研)

ページトップへ