2020.08.15 08:40

パプア従軍の手記公開 元通信兵が戦闘の惨状を克明に

竹村政治さんが記した「遺稿」を手にする、おいの竹村建司さん (宿毛市中央2丁目の竹村産業)
竹村政治さんが記した「遺稿」を手にする、おいの竹村建司さん (宿毛市中央2丁目の竹村産業)
折り重なるように死んだ ■ 食料を争奪 ■ 地獄絵そのまま
 太平洋戦争に従軍した高知県宿毛市の男性の手記を、宿毛市の親族が本にして公開した。通信兵だった男性は徴兵から戦場のパプアニューギニアでの日々、捕虜生活を経て高知に帰るまでの3年8カ月余りの記憶をたどり、「戦争ほど残酷で悲惨なものはない」「戦争だけは絶対にしてはならない」と記す。終戦から75年。親族は「多くの人に読んでもらいたい」と呼び掛けている。

復員後に撮られた竹村政治さん
復員後に撮られた竹村政治さん
 手記を残したのは、宿毛市中央2丁目出身の竹村政治(まさじ)さん=享年88。1942年8月、四国配電(現・四国電力)に勤めていた27歳の時に召集され、陸軍の電信連隊に配属された。

 冬の満州での訓練を経て、翌年パプアニューギニアのニューブリテン島へ。この頃から日本軍は連合軍の反撃を受け、近隣のソロモン諸島からの撤退を始めていた。竹村さんは、周辺の兵士を同島ラバウルに退却させるための通信連絡などに当たり、ジャングルに通信基地を設営。前線の兵と共にラバウルへの帰還を目指した。

 手記では、疲労と栄養失調、空爆の中での退却の様子を詳細に記述。飲み水を求めて着いた川で「折り重なるように死んでいった」仲間や「戦友同志が食料を争奪」する姿に、「地獄絵そのままの修羅場」「残酷で悲惨な戦争に対する憎しみをまたしても呼び起こす」とつづる。

 8月15日、ラジオで終戦を知り「生きて帰れるという喜びがいっぱい」。捕虜生活を経て、宿毛市に戻ったのは1946年5月。家に入ると母親が「わあっと泣いた」「母の真剣な表情は頭にこびりついて離れない」と記した。

 追録も記載。捕虜生活で、オーストラリア人将校が「戦争のために妻子とともに暮らせない こんな馬鹿なことはない」「戦争はもうこりごりだ」と語っていたと振り返り、戦争とは何かを問うきっかけになったと書く。

 帰郷後、四国配電に復職した政治さん。退職後に「遺稿」として手記を執筆し、2004年に亡くなった。

 手記は次女がパソコンでA4判38ページに打ち直し親族に配布しており、これを政治さんのおいで、宿毛市内の建設会社会長の竹村建司さん(79)が製本。今回、「実際に戦争を体験した人の思いを知ってほしい」と宿毛市中央2丁目の坂本図書館に寄贈した。

 建司さんは「戦争は無益で、二度と起こしてはならないということを痛感する。戦争のない平和な社会を」と願った。

 手記は坂本図書館のほか、高知新聞のウェブサイトで全文を公開している。(新妻亮太)

【手記全文】太平洋戦争従軍、惨状克明に 故・竹村政治さん(宿毛市)

カテゴリー: 社会幡多

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