2020.08.15 08:37

戦争を支えた山村の「常会」 旧東津野村で議事録発見

旧東津野村の口目ケ市集落で見つかった常会の議事録。「近代戦は国力の総合戦である」などと記されている
旧東津野村の口目ケ市集落で見つかった常会の議事録。「近代戦は国力の総合戦である」などと記されている
戦時統制は山奥まで浸透 農民の生活と心縛る
 太平洋戦争中、高知県高岡郡の旧東津野村(現在の津野町)芳生野丙の口目ケ市(くちめがいち)集落の住民が、戦時体制を支えるため毎月開いていた「部落会常会」の議事録が15日までに見つかった。若者が戦地に駆り出された後も、食料や物資の供出を強いられた農山村の生々しい実態が記録されている。

 国は戦時下の協力体制を地域社会の隅々に浸透させようと、村落ごとに「部落会」を組織させ、住民らが定期的に集まる「常会」を開かせていた。

 見つかったのは1943年1月から1944年11月までの常会の記録。住民が議事の内容を記したガリ版刷りが1冊にひもでとじられている。

 口目ケ市集落では常会が毎月上旬に開かれていた。変色した紙をめくると、集落の若者が徴兵される中で、住民には「食糧の大々的な増産」「戦争生活の徹底的な実践」が説かれた重苦しい時代が刻まれている。

 この記録は地元の男性が戦後長く保存。男性の死後、親族の手にあることを知った住民らが「戦時中の状況が分かる史料。埋もれさせてはいけない」と保存に乗り出した。

 「高知戦争資料保存ネットワーク」会長の小幡尚・高知大教授(日本近代史)によると、常会記録は戦争協力の実態を記した史料で、多くは戦後に意図的に廃棄されたか、時間経過の中で散逸したとみられる。

 小幡教授は「口目ケ市の記録は全国的にも珍しいと言える。戦時体制が高知の山間部まで浸透していたことを示す貴重な史料だ」としている。


発見された口目ケ市の「部落会常会」の議事録
発見された口目ケ市の「部落会常会」の議事録
戦争生活の徹底的な実践 食糧の大々的な増産
 「戦時下 農産物増産確保 これ我等(われら)山村農民に課せられたる 使命であり 責任である」―。旧高岡郡東津野村(現在の津野町)芳生野丙の口目ケ市(くちめがいち)集落で見つかった部落会常会の記録。淡々とした筆致ながらも、戦時体制が奥深い村まで浸透し、人々の生活と心を縛り、総力戦を強いていた時代を今に伝えている。

 口目ケ市は天狗高原の麓にある30戸ほどの集落。戦時中は約45戸が点在し、100人以上が暮らしていた。住民によると、少なくとも24人が徴兵され、10人が戦死したという。

 記録は、常会ごとの出席状況や部落長からの通達事項などが書式に沿って手書きされている。常会は毎月上旬の夜に開かれ、毎回70~131人が出席。長いときは日付をまたぎ、5時間以上に及んだことが読み取れる。

 「非常戦局を切り抜く為に 我等に課せられたる食糧増こそ急務なり 今後配給量も減ずる事となる故 寸土(すんど)と云(い)え共(ども)空地なき様(中略)増産を計る事」

 1944年5月の通達報告欄には、そう記されている。全戸によるジャガイモの植え付けや麦の増産などが次々と指示され、あらゆる農産物の供出を強いられていた様子が浮かぶ。

 食糧のほか、金銭や物資もたびたび求められた。

 「飛行機ケン(献)納運動に関する件 一戸平均一円五十銭」(1943年6月)

 「兎(ウサギ)皮は軍需必要品ナルガ故(ゆえ) 一戸一体以上飼養スル事」(1944年11月)

 当時、ヒマ(トウゴマ)の種子から採取した油は飛行機の潤滑油として利用された。議事録には「空戦になくてはならぬヒマの増産ニ勉(つと)め 一戸宛(あたり)六号以上確保ニ勉メル事」(1944年8月)との指示もある。

1941年の「戦時防空演習」で撮影されたとみられる口目ケ市集落の人々。写真は今も集落で保存されている
1941年の「戦時防空演習」で撮影されたとみられる口目ケ市集落の人々。写真は今も集落で保存されている
 ■  ■ 
 常会には近隣の国民学校から男性校長がほぼ毎回出席し、1、2時間の講話を行っていた。

 1943年1月には「決戦下国民の覚悟」との題で、集まった住民にこう訴えている。

 「近代戦は国力の総合戦である。国民皆武 戦場精神に徹し、職域奉公の実をあぐるべきである 特に農民の使命は大である 生産戦に思想戦に貯蓄戦に完全に勝ちぬく決意を実践すべきである」

 講話に触発された住民らは「多大ノ感動」(1943年8月)、「御講演を拝聴し 一同コブシヲニギリテ(中略)気概を新ニス」(1944年3月)などと記述していた。

 その後、戦局悪化が集落に伝わったであろう1944年7月の議事録には「例ニより校長ノ講演アル」。簡素な一言で済ませている。

 ■  ■ 
 常会記録は、口目ケ市の故山本敬俊さんが戦後も長く保存してきた。山本さんは4年前に88歳で亡くなり、弟の健雄さん(86)=津野町芳生野乙=が譲り受けていた。

 今春、記録の存在を知った元県職員の横山好史さん(66)=同=が「貴重な史料。朽ちさせてはいけない」と判断。記録に登場する人物の調査や解説資料の作成に着手した。健雄さんの了承を得て公的施設に保存する準備も進めている。

 横山さんは「終戦から75年。戦時を生きた人々が毎年のように他界している。戦争を過去の出来事として終わらせないためにも、この記録を現代の私たちが生かしたい」と話している。  (芝野祐輔)

カテゴリー: 社会高幡

ページトップへ