2020.08.05 08:32

【戦後75年 言葉を刻む】死後の処置しよったら、もう次が死ぬるようになっちゅう


死後の処置しよったら、もう次が死ぬるようになっちゅう
 (高知市、西内清子さん)

 看護婦としてビルマ(現ミャンマー)に赴き、敗戦間際には南部の都市モールメン(現モーラミャイン)で敗走する日本兵の手当てに奔走した。戦地の衛生状況は極端に悪く、医薬品もない。コレラや赤痢がまん延し、同郷の看護師1人も命を落とした。夜勤に就くと、患者の治療ではなく、遺体の処置が朝まで続いた。「もうそれは、つらかったよ」

 1937年の日中戦争開始から第2次世界大戦終結の45年まで、日本赤十字社高知県支部からは看護婦ら443人が従軍した。

 (2014年2月4日付朝刊、当時94歳)

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カテゴリー: 社会戦後75年 言葉を刻む社会

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