2020.04.24 08:35

見つけた天職は介護の道 田中さん 高知市の児童養護施設を出て新潟でケアマネジャーに

生まれ育った児童養護施設の前に立つ田中葵さん(高知市新本町1丁目)
生まれ育った児童養護施設の前に立つ田中葵さん(高知市新本町1丁目)
本人がしたいこと応援
 認知症のお年寄りの声に耳を傾けたい―。高知から遠く離れた新潟県の介護施設でケアマネジャーとして働く高知市出身の女性がいる。田中葵さん(41)。彼女が育ったのは高知市内の児童養護施設。「施設のお年寄りの暮らしは決して本人が望んでいるものではない。子どもの時の自分と同じだから分かる。私は彼らの味方になりたいんです」
 
 「私はどうしてここにいるの? 私の家族はどこにいるの?」
 
 小学生の頃、施設の職員に何度も同じ質問をぶつけた。施設での生活は楽しかったが、自分は周りの同級生とは違うと感じていた。
 
 「お父さんとお母さんがいないからだよ」。職員は頑張って答えを探してくれたが、納得させてくれるものではなかった。
 
 その代わりに職員は皆、「ここにいる子たちは特別に幸せにならないと」と教えてくれた。いつしか周りが当たり前にしている暮らしは、今の自分には手が届かないものだとあきらめた。「今は幸せを望んではいけない。その分、将来は幸せになる権利があるんだって思うようになりました」
 
 小学3年生の頃、「児童養護施設の職員になる」と、将来の夢を定めた。もし自分のような質問をする子どもに出会ったら、ちゃんと納得できる答えを返してあげたかった。
 
 中学校を卒業後、施設を出た。寮のある紡績工場で働きながら高校、短大で学び、保育士の資格と幼稚園教諭の免許を取得。着実に夢に近づいていると思っていた。だが―。
 
 「あきらめました。住み込みで働ける施設がなかったんです」。アパートで1人暮らしをしては?の質問に、「アパートを借りるには連帯保証人がいないといけないでしょう、私にはその人が思い当たらなかったんです」と答えた。
 
 私は、やりたい仕事にも就けないんだ。
 
勤務先で行われた節分の日のイベントで鬼に扮(ふん)した田中さん=右上。利用者とゲームをして楽しいひとときを過ごす(2019年2月、新潟県長岡市の介護施設=田中さん提供)
勤務先で行われた節分の日のイベントで鬼に扮(ふん)した田中さん=右上。利用者とゲームをして楽しいひとときを過ごす(2019年2月、新潟県長岡市の介護施設=田中さん提供)
 人生に対してあきらめにも似た感情が湧き始めていた頃、友人が「保育の仕事と似ているのでは」と勧めてくれたのが看護助手の仕事だった。寮がある愛知県の病院で働くことに決めた。
 
 病院では寝たきりの高齢者の世話に当たった。気管切開をした人、おなかから胃にチューブを入れて食べ物を送り込む胃ろうをした人…。ほとんど会話ができない人ばかりだったが、おむつを替えたり体を拭いたりしていると、目の動きなどで彼らの意思を感じ取ることができた。
 
 「意思を伝えられない人たちの声をすくい取りたい」。23歳の時、介護の道で生きていこうと決めた。
 
 ■  ■ 
 
 田中さんは2月中旬、介護の魅力を伝える全国セミナーのスタッフとして高知を訪れた。
 
 介護セミナーに関わっているのには理由がある。「介護の現場では当事者の気持ちを置き去りにしがちなんです」。そんな現実に疑問を感じているからだ。
 
 例えば、危ないながらも歩こうとするおじいさんに車いすを勧める。失禁が増えたおばあさんに大きなパットを当てる―。
 
 「相手のことを思いやっているように見える行為は施設ではよくあること。でも、安全という言葉で正当化された対応は、認知症の進行を進めるんです」
 
 忘れられない出来事がある。ある時、91歳のおじいさんが日記帳に「カップラーメンが食べたい」と書いて訴えてきたことがあった。
 
 田中さんはその時、自分の子ども時代を思い出した。自分が食べたいものを食べる習慣がなかった施設での生活と、おじいさんの置かれた環境とが重なったのだ。
 
 周りの職員からは塩分を取り過ぎることや、特別扱いすることになると反対されたが、半ば強引にカップラーメンを用意した。
 
 「あの時のうれしそうな表情は今も忘れられません。それからおじいさんは、生きる力がみなぎるようになってきたんです」
 
 本人がしたいことを応援することが、人を元気にする一番の方法―。予想は確信に変わり、ぶれない介護観となった。
 
 ■  ■ 
 
 「覚えてるよ。これはヒロコとノリコ。キャンプも行ったね」。田中さんは浴衣姿の少女の写真を指さしながら懐かしそうにつぶやいた。
 
お世話になった施設の職員と昔話に花を咲かせる田中さん=左から2人目(高知市新本町1丁目)
お世話になった施設の職員と昔話に花を咲かせる田中さん=左から2人目(高知市新本町1丁目)
 セミナーの翌日に立ち寄った高知市新本町1丁目の「高知聖園天使園」。集まってくれた当時の職員と昔話に花を咲かせた。ここを訪れるのは15歳で卒園してから2度目だ。
 
 田中さんが小学生の頃の担当だった町田真理さん(59)は「正義感があって、主張をする子でした。後ろ盾がない中で頑張って短大まで行き、天職を見つけられてよかった」と笑顔を見せた。
 
 田中さんは父親に会ったことがない。施設の人から聞いたところでは、母親には2回会ったことがあるらしいが、顔は覚えていない。
 
 「施設の子と付き合うのはやめなさい」「子どもを産んでも育てられないだろう」
 
 施設出身というだけで、心ない言葉をぶつけられたこともあった。決して平たんな人生ではなかっただろうが、古里で「今、幸せかな」と笑顔で話せる。
 
 「この仕事に出合えていなかったら、今生きてないんじゃないかと思うくらいの天職だと思うんです。私、施設で育って、施設で死ぬのかな」(石丸静香)

ページトップへ