2020.01.01 06:01

龍馬の活力、刀が引き出す 愛刀「吉行」先祖や家族つなぐ存在 龍馬記念館・三浦学芸員語る

龍馬の愛刀「吉行」=京都国立博物館提供
龍馬の愛刀「吉行」=京都国立博物館提供
「国を変えるために命を落とす覚悟を決め行動する力にもなった」
 幕末の志士、坂本龍馬が暗殺時に所持していた刀「吉行」(京都国立博物館所蔵)。龍馬は吉行を携えたおよそ半年のうちに薩土盟約や大政奉還に奔走し、明治の新時代を見る前に命を落とした。県立坂本龍馬記念館学芸員の三浦夏樹さん(47)は「吉行は龍馬の活力の源となり、先祖や家族と龍馬をつなぐ存在となった刀だった」と評する。刃文の特徴や入手経緯など、龍馬と吉行の歩みを読み解く。

 三浦さんによると、龍馬は相当な刀好きで、刃文が派手な脇差し(「勝光宗光」)やシンプルな刀(「相州国秀」)などさまざまなタイプを所有。岩崎弥太郎が持っていた筑紫槍を打ち直した短刀をほしがったが断られたという話も残されている。

 龍馬は1866(慶応2)年12月の兄・権平宛ての手紙で「武士が国難に臨む時には、必ず先祖伝来の宝刀などを分け与えるものだ」とした上で、「坂本家の家宝の品を分け与えください」と所望している。

 この坂本家の先祖伝来の刀が吉行だったようで、兄権平は薩摩藩の西郷隆盛が土佐を訪れた際に、龍馬に渡してもらうよう刀を託している。

 龍馬がいつどこで吉行を受け取ったかは定かでないが、三浦さんは「主な活動の拠点の長崎では」と推測する。1867(慶応3)年6月には、長崎から上京した京都で「専門家に見せると粟田口忠綱くらいの名刀と鑑定されました」「常に腰に差しています」「兄にもらった刀だと自慢しています」と手紙で権平に感謝を述べている。

 三浦さんは「龍馬がそばに置いて先祖や家族を感じ、支えにしたのが吉行でなかったか。国を変えるために命を落とす覚悟を決め行動する力にもなった」と推測する。

 同年9月の土佐帰国の際、龍馬は吉行でなく梨地の大小を差していた。常に携帯していたわけではなかったが、近江屋で刺客に襲われた際、龍馬が携えて応戦した刀は偶然か必然か吉行だった。

 三浦さんは「最期に持っていたことで象徴的なものになったが、本人の思い入れが特に強い刀だった。それがここ数年のうちにゲームの人気をきっかけに幅広い層に知られたことはうれしい」と喜ぶ。

 「刀剣乱舞-ONLINE-」の陸奥守吉行役を演じた濱健人さんに依頼した音声ガイドについても、「吉行の目線で吉行が語る龍馬を濱さんが見事に表現してくれた。そして、史料や解説をじっくり見て聞いてくれて、龍馬に触れてくれた熱いファンたちに感謝です」と振り返った。(楠瀬慶太)

《龍馬の愛刀「吉行」》
 陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)は、17世紀に土佐藩に招かれて鍛冶奉行を務めた刀工。その刀は切れ味が鋭く、幕末の志士が好んで使った。

 龍馬所用の吉行は、刃渡り71・1センチ、反り0・15センチ。北海道に渡った坂本家に龍馬の遺品として伝わったが、1913(大正2)年の火事で被災。当時の面影は失われ刃文は直刃になっているが、近年の科学的分析で、本来の吉行の作風を示すぽこぽこと山のような形が並ぶ刃文「拳(こぶし)型丁子(ちょうじ)」が確認されている。

《龍馬と吉行 関連史料》
(右)吉行を受け取ったお礼を兄・権平に伝えた龍馬の手紙。矢印が指し示す部分に「吉行」の字が見える(左)北海道に移住した坂本家に残された吉行などの刀に関する記録
(右)吉行を受け取ったお礼を兄・権平に伝えた龍馬の手紙。矢印が指し示す部分に「吉行」の字が見える(左)北海道に移住した坂本家に残された吉行などの刀に関する記録

「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する陸奥守吉行 (c)2015-2020 DMM GAMES/Nitroplus
「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する陸奥守吉行 (c)2015-2020 DMM GAMES/Nitroplus


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カテゴリー: 文化・芸能主要坂本龍馬高知中央文化

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