2019.09.27 08:43

「白血病はやっかいな隣人」つらい闘病、ユーチューブで明るく発信

退院直後の6月末、祖母の家でユーチューブで配信する竹内蔵之介さん(高知市内)
退院直後の6月末、祖母の家でユーチューブで配信する竹内蔵之介さん(高知市内)
 高知市の竹内さん
 周囲の笑顔特効薬に

 白血病の闘病生活を動画投稿サイト「ユーチューブ」で発信している高知市の男性がいる。大学生の竹内蔵之介さん(21)。5歳で発症し、入退院を繰り返した。症状が落ち着き、「さあこれから」と思っていた20歳の時に5度目の再発。「お前、また来たなって感じ」。ただし、そう語る表情に悲壮感はない。動画の中には病に向き合い、苦しみを笑い飛ばす姿がある。同じ病の人の励みになれば―。そんな思いで前向きなメッセージを送り続ける。

 「どうも、にゅーいんです!」。竹内さんは今年3月、病床から配信を始めた。入院中だから、名前は「にゅーいん」。これまで30本以上の動画を投稿。白血病の症状や化学療法の副作用など深刻なはずの内容をゆる~い口調で語る。

 抗がん剤の影響で下痢に悩まされた時は、「肛門をキュッとしてもおさまらない。オムツの用意を」。放射線治療の前に利尿作用のあるアイスティーを飲んでしまったことがある。治療には1時間弱かかるため、トイレを我慢するのがつらかったことを臨場感たっぷりに報告。その回はさすがにトホホな表情で語った。

7歳の時の竹内さん。妹から骨髄移植される前だという(2005年5月、家族提供)
7歳の時の竹内さん。妹から骨髄移植される前だという(2005年5月、家族提供)
■昨秋に再発
 5歳の時に急性リンパ性白血病と診断された。幼稚園でよさこい鳴子踊りの練習をしていた頃。昼間は元気だが夜中に高熱が出た。

 最初にかかった医師からは「変わった風邪ですね」と言われた。「母は僕が幼稚園を休みたいだけの仮病と思ってたみたい。無理もない」と笑う。初期症状は風邪と区別しにくいという。別の病院で採血し、白血病と分かった。

 「脾臓(ひぞう)がパンパンに腫れてた。死の一歩手前だった」と振り返る。

 2年後に2歳年下の妹の骨髄を移植した。

 その後も再発、入退院を繰り返したが、12歳の時に症状が落ち着いた。特別支援学校から高知西高に進み、昨春、岡山理科大(岡山市)に進学した。県外の大学を選んだのは「入院生活が長くて、親の目から離れたかった」から。

 念願の1人暮らし、アルバイトも経験。大学生活は充実していた。症状が落ち着いて6年以上、もしかしたら…そんな思いが生まれつつあった時だった。入学から半年ほどたった昨年11月、血液検査で白血球の数が上昇していることが分かった。再発だった。

 「これからって時に…」。さすがに落胆した。それでもすぐ、長くなる闘病生活で何ができるかを考えるようになっていた。

 最初はゲームをプレーしている実況動画の配信を考えたが「どうせなら経験を役立てたい」。人生の大半を悩まされ続けた病を語ることで、自分と同じ患者の励みになるかもしれない。顔を出しての動画発信を決意した。

ハプロ移植直後の4月、ふらふらになりながら症状を伝える竹内蔵之介さん(ユーチューブより)
ハプロ移植直後の4月、ふらふらになりながら症状を伝える竹内蔵之介さん(ユーチューブより)
■ハプロ移植
 竹内さんが今回受けたのは「ハプロ移植」という治療。

 一般的な骨髄移植は白血球の型が完全一致することが求められる。骨髄バンクを通してドナーが見つかっても、承諾を得て移植に至るまでは長い期間を要する。

 それがハプロなら白血球の型の一致は半分でよく、親子なら確実にドナーになれる。移植まで時間がかからないこともあり、近年注目されている治療法だ。

 4月に父親の血液の細胞を移植した竹内さん。自身の治療がうまくいってほしいと願う気持ちと、今回の治療にはもう一つの期待もあった。

 「ハプロが広まれば病状が悪化する前に移植ができる。希望を持つ人も増える」

 ただ、この治療法は免疫反応が強く出るデメリットがある。竹内さんも移植後は多くの合併症に苦しんだ。40度の高熱、体のあちこちで粘膜障害が起きた。食道の皮がはげ落ち、胃にたまって吐血。ぼうこうの皮がはげ、血液が尿道に詰まった。下痢も止まらない。

 苦しみの中でも動画を編集、発信した。病院の外は桜の季節、街には希望にあふれた新社会人や学生があふれている。そんな光景を思い浮かべながら竹内さんはベッドで語る。「僕は一人で病室でパンツを洗ってるんです。悲しいわ」。ありのままを伝えた。

■一生続く病
 「白血病はやっかいな隣人のようなもの」と竹内さんは言う。

 放射線治療による白内障、投薬の影響で歯のエナメル質がはがれ、自分の歯は半分もない。抗がん剤治療で骨ももろくなった。

 「前屈しているとゴリッと背中の骨が折れた。7歳の時です。はは…笑いながらする話じゃないけど」

 元気になったと思っても別の病が襲ってくる。学業に空白ができ、頑張ろうとしても体力が追いつかない。

 白血病から派生した後遺症は体にダメージを与えただけでなく、人生のあちこちにひずみを生んだ。「そういった意味では、がんとの闘いは一生続く」と語る。

■経験は貴重
 竹内さんはハプロ移植後の6月末、いったん退院したものの、2カ月後に再発が確認された。

 「もう何回目だと思ってんだ」。動画の声は暗くない。いちいちショックを受けていたら体が持たないからだ。

 両親はユーチューブの配信を応援してくれている。普段は無口な父が「お前が経験していることは貴重だ。クリエーティブにいけ」と励ましてくれた。

 病気と闘う子どもの親に見てほしいという動画がある。「こんな母親ダメ ゼッタイ」と題した動画。その中で竹内さんは「とにかく明るく接してほしい」と訴える。

 自身の幼少期のつらい体験からの言葉だ。痛い注射、大量の薬、猛烈な吐き気…。物心もつかない心には、周囲の悲しげな顔がひどくこたえた。

 そんな中、母親は努めて明るく接してくれた。あえてそうしてくれたとしても、救われた。周囲の笑顔は特効薬だと感じた。

 「頭痛がしても、笑っていると痛みが緩和する。がん細胞を壊す細胞は笑うことで増える。モルヒネより数倍も効く」

 だから竹内さんは闘病生活を明るく発信し続ける。いつも笑顔で。そして、これからも。(村瀬佐保)

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