2019.09.20 08:00

【東電3被告訴訟】無罪は一区切りではない

 原発とは、根拠もなく安全性や経済性を強調し、想定しない過酷事故を起こしても、誰も責任を取らなくてもいい事業なのだろうか。
 2011年3月の福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3被告に、東京地裁はいずれも無罪(求刑禁錮5年)を言い渡した。
 他の2人は武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長。検察官は不起訴としたが、市民で構成する検察審査会が2度にわたり起訴すべきだと判断し強制起訴された。
 起訴状で3人は、巨大地震による大津波を予見できたのに、対策を怠り、事故で長期避難を余儀なくされた入院患者らを死亡させた罪に問われた。
 事故の予見可能性と結果を回避できた可能性の有無は、刑事裁判では厳しく問われる。裁判所もその両立を認めず、長い法廷闘争でも否定したことになる。
 ポイントとなったのは、政府の地震調査委員会が02年に公表した長期評価だ。これに基づいて計算すると、福島第1原発には最大15・7メートルの津波が押し寄せることが分かっていた。
 東電も08年に長期評価を検討している。裁判で被告の3人は「長期評価には信頼性がなく、予見できなかった」と主張し、想定されていなかった規模の地震と津波で、事故は防げなかったと訴えた。
 しかし、評価の信頼性を否定することと、対策を怠ることは別の問題ではないか。東日本大震災では津波の浸水で原発の全電源が喪失。水素爆発を起こした。
 強大な防潮堤の建設とまではいかなくとも、電源設備を高台に移すぐらいは東電ほどの大企業ならできたはずだ。実際にそうすれば過酷事故は防げたとする民事訴訟の判決や、米科学アカデミーの指摘もある。
 こうした観点から国会の事故調査委員会は12年、原発事故を自然災害ではなく、「あきらかに人災だ」と位置付けた。人災であれば、大事故を起こした当事者である東電幹部ら、個人の責任を追及する動きが出ても不思議はない。
 旧ソ連のチェルノブイリ原発と並ぶ、最悪の「レベル7」の事故である。万が一にも起こしてはならない事故は、いまだに遺族の心の傷となり、事故処理の面では国民の子孫にまで影響を及ぼす。
 3人の被告も東電も、今回の無罪判決を「一区切り」などと考える余裕はあるまい。
 むしろ市民の厳しい目を意識し続けることだ。検察の不起訴の判断よりも、検察審査会の「起訴相当」の方が市民感覚により近いだろう。裁判所の裁判員裁判も、市民の意見を取り入れる制度だ。
 原発の安全神話が崩れ、システムの核燃料サイクルも事実上、破綻している。電力会社や国は、今後も続く原発絡みの訴訟で、市民の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。

カテゴリー: 社説


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