2019.09.14 08:43

魚梁瀬林鉄は「地域の宝」 営林署OBら香美市で座談会

林鉄の往時を振り返る(右から)矢田光央さん、堀尾千年さん、青木英雄さんら(香美市の甫喜ケ峰森林公園・森林学習展示館)
林鉄の往時を振り返る(右から)矢田光央さん、堀尾千年さん、青木英雄さんら(香美市の甫喜ケ峰森林公園・森林学習展示館)
断崖絶壁の軌道上を走る林鉄。機関車に「中川(事業所)」の文字が見える(青木英雄さん撮影)
断崖絶壁の軌道上を走る林鉄。機関車に「中川(事業所)」の文字が見える(青木英雄さん撮影)
 命の危険 隣り合った労働
 中芸地域の魚梁瀬森林鉄道(林鉄)を語り尽くす座談会がこのほど、香美市土佐山田町の甫喜ケ峰森林公園で開かれた。初の写真展を開催中の青木英雄さん(80)=南国市日吉町=ら林鉄のレジェンドたちが7日、「天下の魚梁瀬」と称された往時の裏話を交えて振り返った。

■林業人の憧れ
 林鉄は1911年開通。積み出し港の安芸郡奈半利、安田両町からの総延長は250キロで、沿線住民の足としても重宝された。

 青木さんは高知農業高校を卒業後の58年、魚梁瀬営林署に事務員で入署した。営林署は当時、花形の就職先。中でも、林業人の憧れと言われたのが「魚梁瀬」。高校の同級生4人とともに、管内の5事業所に1人ずつ配属された。

 青木さんは管内最奥部の中川事業所に6年、ダム完成後に新設された明善事業所に2年勤務。ヒノキやスギ、ツガなど切り出した天然林の測量を担当した。労働者の給料は出来高制のため、機関士に渡す記録には、長さや直径、樹種などを細かく記したという。

 「初任給が月6千円で、ビールが125円くらい。土日もなく、朝4時から夜遅くまで仕事で。切れば切るほど、お金になる時代。働き方改革もないわね」

 山と暮らすうちに、「この風景を残したい」と思うようになり、当時3万5千円ほどの一眼レフを「思い切って」購入。「命がけ」で林鉄や山々をフィルムに収めた。

 娯楽はラジオやマージャン。そして、魚梁瀬に二つあった映画館通いが「一番の楽しみやった」。料金は100円。中川からは約10キロの道のりで、「行きはトロッコで30分、帰りは徒歩。夜更けの山道を2時間以上よ」。さらに8キロほど奥の現場に寝泊まりしていた職員は、中川で1泊して帰っていた。

■安全の保証なし
 命の危険と隣り合わせの生活でもあった。現場に通じる魚梁瀬から先の軌道は、「安全は保証しない」条件まで付いた断崖絶壁の難路。転落事故や犠牲者も相次いでいた。

 「10月ごろかな。軌道上で足を滑らせて谷底へ落ちて。霜も降りちょったろう。まだ18歳やったに…」。青木さんの同級生も、入署した年に命を落とした。機関車や貨車が転落すると、残りの車両も道連れに。落下の途中に飛び降りて命を拾った制動夫や機関士も珍しくなく、「何回か落ちて一人前」とまで言われたという。

戦時中の工事 朝鮮半島出身者が寄与
 OBらは「朝鮮半島出身の労働者の寄与を忘れてはいけない」とも話す。

 魚梁瀬営林署に42年に入署した堀尾千年さん(94)=高知市=は、戦時中の新設・延伸工事の様子を知っている一人。「重労働はみな半島出身者。きつい山の、崖ばっかしの岩場をつるはしで掘り、ダイナマイトで飛ばす。頭が下がる思いやった」と振り返る。

 高校で青木さんの2年先輩で、林鉄保存会副会長の矢田光央さん(82)=田野町=も、「朝鮮半島の方々が林鉄の発展に貢献していた事を伝えていかないと」と話す。日本人の青壮年は戦争に取られ、地元女性を含めた人々が建設を担った。

 「各地に存在し、高知の発展を支えた林鉄は、こうした人々あってこそ」と堀尾さん。「言葉に尽くせぬ宝。将来に語り継いでいってほしい」と訴えた。(横田宰成)

カテゴリー: 社会安芸


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