2019.08.30 08:00

【文科相やじ発言】批判排除を是認するのか

 憲法で保障された「表現の自由」の下で、やじを飛ばした市民を強制排除する法的根拠を警察はまだ説明していない。安倍政権の下で、公権力による異論の封殺が常態化しつつあるとすれば危険である。
 先の埼玉県知事選で、JR大宮駅近くで応援演説をしていた柴山文部科学相にやじを飛ばした男性が、埼玉県警に取り押さえられる事案が起きた。男性は大学入学共通テストに反対して「柴山やめろ」「民間試験撤廃」と声を上げたという。
 柴山氏は記者会見で「表現の自由は最大限保障されないといけない」としつつも、やじを「大声で怒鳴る声」とし、「選挙活動の円滑、自由は非常に重要。そういうことをするのは権利として保障されていない」との見解を示した。
 やじも市民の意思表示の一手法である。表現の自由を閣僚が否定し、警察による実力行使を是認した発言と受け取られても仕方あるまい。
 7月の参院選中にも、札幌市で行われた安倍首相の街頭演説にやじを飛ばすなどした人が複数、北海道警によって現場から力ずくで排除されている。
 道警は「トラブルや犯罪の予防措置」とするばかりで、いまだに法的根拠は示していない。
 公職選挙法は演説妨害を「選挙の自由妨害罪」と位置付ける。だが、1948年の最高裁判決は「聴き取ることを不可能または困難ならしめるような」行為としている。拡声器を使うなど大規模な妨害が対象だとみられている。
 男性が1人でやじを飛ばした埼玉の事案も札幌のケース同様、これに該当するとは思えない。埼玉県警にも、市民の自由を奪った法的根拠の説明が求められる。
 政権を批判する言動の排除ばかりが続くのも気がかりだ。
 警察法は、警察が責務を遂行するに当たって「不偏不党」「公平中正」を旨とし、憲法が保障する個人の権利、自由に対する権限の乱用があってはならないとしている。
 埼玉のケースは時の政権への忖度(そんたく)はなく、不偏不党、公平中正だったのか。表現の自由に対する行き過ぎた実力行使ではなかったのか。この点も説明が要る。
 政治家の街頭演説は、支持者だけでなく、幅広い聴衆に訴えかける機会のはずだ。公権力の過剰な対応が続き、人々が萎縮して自由にものが言えなくなっては戦後民主主義に逆行する。
 こうした事案が続いていることを警察は組織全体で検証し、説明する姿勢を持つべきである。
 安倍首相は一昨年の都議選で演説中にやじを飛ばされ、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と気色ばんだ。異論に耳を傾けず、敵味方を「選別」する政治姿勢を象徴している。
 批判も聞く謙虚さ、懐の深さを欠く体質は既に政権全体にまん延しているように映る。その意味でも柴山氏の発言を危惧する。

カテゴリー: 社説


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