2019.08.21 08:00

【昭和天皇拝謁記】政治的「肉声」の検証を

 昭和天皇の「肉声」が伝わる一級の資料に違いない。
 終戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治が、昭和天皇との詳細なやりとりを記した「拝謁(はいえつ)記」の一部が公開された。
 戦争への後悔や退位について繰り返し言及しており、一人の人間として苦悩する姿が生々しく浮かび上がってくる。
 拝謁記によると、昭和天皇はサンフランシスコ講和条約の発効を祝う1952年5月の式典で、戦争への後悔と反省を表明しようとした。「お言葉」を練る田島に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と述べていた。並々ならぬ思いが伝わってくる。
 しかし当時の吉田茂首相が反対し悔恨を示す一節は削除され、当たり障りのない表現になった。反省を強調すれば退位論が再燃しかねない、との危惧からだったとされる。
 ただし天皇の戦争責任問題は、以降も折に触れて問われ続けて今に至る。天皇の強い反省の気持ちが早い段階で公にされていたなら、昭和史の一ページが変わっていたかもしれない。天皇の表明を思いとどまらせた政府の判断は妥当だったか。検証の必要があろう。
 反省の中身はどうだったのか。
 「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」。「一億総ざんげ」の考え方に通じよう。責任のあいまいさを招きかねない「総ざんげ」には、批判的な意見も根強い。
 一方で、田島が残した他の資料には「朕(ちん)ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧(は)ヅ」の言葉があることが先行の研究で明らかとなっている。敗戦の惨状はすべて自らの不徳がもたらしたものと認め、国民に謝罪したい意向を持っていたことがうかがえる。
 昭和天皇の真意はどこにあったのだろう。さらなる分析と研究が待たれる。
 拝謁記からは、天皇が再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性を強く感じていたことも分かる。当時の米軍基地反対闘争を巡っても、日本の軍備がなければ米国に守ってもらうより仕方ないとし、「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」としている。
 昭和天皇が終戦2年後、米国に沖縄の軍事占領の長期継続を望んだ「天皇メッセージ」につながる。
 日本国憲法によって「象徴天皇」となってもなお、戦前の「君主」の思いを引きずっていたのだろうか。象徴の在り方を模索していた過渡期の天皇像が浮かび上がる。
 「国政に関する権能を有しない」はずの天皇の政治的発言が、現実の政治に影響を与えたのか否か。与えたとすれば、それはどのようなものだったか。これもまた、解明されるべき大きなテーマだろう。
 拝謁記は手帳やノート計18冊に上る。できる限り公開し、事実の解明と議論を深める契機としたい。

カテゴリー: 社説


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