2019.09.01 14:44

写真でみる高知の115年 明治から令和へ【創刊記念日企画】


※音が出ます。ご注意ください。

明治37(1904)年9月1日に生まれた高知新聞は、今日で115周年を迎えました。高知の歴史とともに歩んだ道のりをアーカイブ写真で振り返ります。



創刊当時の本社社屋と、草創期の社員たち。本社は木造2階建てで、現在の県庁前電車通り南側にあった。下部は創刊号1面を切り出したもの。


大正期の高知市新京橋のにぎわい。写真中央奥には、大正4(1915)年に開業した高知初の映画館「世界館」がみえる。


高知新聞主催の「第1回赤ちゃん審査会」昭和4(1929)年。”優良”に選ばれた子の自宅を記者が訪ね「ほんとに愛らしい坊ちゃん」「可愛い事この上ない」などとレポートしている。戦後は「診査会」「赤ちゃん会」と名称・性格を変えて現在に至る。


【左上】日中戦争が始まり、郷土部隊「第44連隊」が中国大陸へ出動していった。播磨屋橋上空より撮影。昭和12(1937)年。【右】宮崎孝男記者(戦後、編集局長などを歴任)を従軍記者として派遣。高知新聞社前で壮行式。昭和12(1937)年。【左下】出征する浜田豊繁 高知新聞カメラマン。高知駅前広場にて。昭和14(1939)年。


昭和20(1945)年7月4日、高知市大空襲。一晩で市街地の70%が焦土と化した。写真は新京橋付近から西方を望んだ光景。


旧制城東中学校(現・追手前高校)へラジオの重大放送を聴きに集まった市民たち。昭和20(1945)年8月15日正午、玉音放送で「敗戦」を知る。地面に両手をつく人、皇居方向に向かって号泣する人も。


昭和21(1946)年12月21日、南海大地震発生。【左】12月23日付高知新聞号外。記事内左上の写真は、堺町にあった文化ビル(元・野村デパート)の崩壊を伝えている。【右】江ノ口川沿いの堤防道路。深い亀裂が被害の大きさを物語る。


昭和30年ごろの市街地の様子。【上】高知市で初めて受像に成功したテレビ画面にくぎ付け。【左下】高知大丸の開店初日には5万人が押し寄せた。【右下】パラソルをさした相乗り自転車の”お熱いカップル”。大橋通り付近で撮影。


ミス・ユニバースに選ばれた高知市出身の女性が帰郷し、華やかに中心街をパレード。「世界一の美女」を一目見ようと人が殺到した。高知新聞社前では一時交通も止まる騒ぎに。昭和34(1959)年。


チリ地震の余波が太平洋を越えて襲ってきた。昭和35(1960)年5月24日、高知県内にも大津波が押し寄せ、須崎、宿毛などに大被害。写真は、ズタズタになった須崎市大間の堤防から流れ込む海水。


【右】昭和48(1973)年、「四国の水瓶」早明浦ダムが完工。【左】昭和50(1975)年、高知高校が春のセンバツで初めて優勝。高知市内で行われた優勝パレードには8万人が集まった。


【右】昭和58(1983)年、高知空港の拡張工事完成で、東京発全日空のジェット一番機が着陸。工事には当初、地元農家らが反対し、説得工作などで決着まで16年かかった。【左】昭和59(1984)年3月20日から55日間開催された「’84高知・黒潮博覧会」。高知市布師田の国分川沿いに22万平方メートルの広大な敷地をかまえ、期間中101万8,000人の入場者でにぎわった。


平成4(1992)年ごろの町の様子。【左】高知市唐人町の鏡川に衰弱したイルカが迷い込んだ。記事の見出しには「新年早々 珍客」の文字が。【右上】バレンタインシーズンの高知大丸チョコ売り場には女性の熱気が。【右下】にぎわう帯屋町アーケード街。懐かしい看板も…。


平成10(1998)年の高知豪雨で「海」と化した高知市東部。9月24、25日の間、高知市で観測された12時間雨量(最大値)は695ミリで、国内の観測史上、歴代2位となった。死者8人、1万7千棟以上の浸水被害を生んだ。


【上】平成13(2001)年、シキボウ(敷島紡績)高知工場跡にイオン高知ショッピングセンターがオープン。開店前に約5500人が並んだ。【下】平成28(2016)年、しんじょう君がゆるキャラグランプリ優勝。しんじょう君は、市がデザインを公募し、平成26(2013)年4月に誕生。


時代は平成から令和へ。【左】四万十市の商店街にはレコードのジャケット写真で作った「令和」の看板が登場。【右上】元号発表の瞬間、テレビやスマートフォンにくぎづけに。ひろめ市場にて。【右下】令和元年1日のはりまや橋商店街。店先で令和を揮毫。

■関連記事■
・今はなき…平成に姿を消した高知の名店&スポット
・高知県立歴民館で「昭和から平成へ」展 家電や日用品で振り返る

関連記事

もっと見る

カテゴリー: 主要社会Web限定Web限定


ページトップへ