2019.08.07 08:00

【表現の不自由展】中止は社会のゆがみ映す

 他人の価値観や表現が自らと相いれないからといって強硬につぶしにかかる。日本もそんな不寛容な社会になったのだろうか。
 愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展示の一つ「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた。展示開始からわずか3日だった。
 実行委員会によると、元従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」などの展示に対し、想定外の悪質な抗議が相次いだ。「ガソリン携行缶を持って(会場の)美術館に行く」というファクスまで届いた。
 京都市の放火殺人事件を連想させる内容だ。抗議に対応する職員をインターネット上で中傷する事例もあったという。
 主催者が「安全な運営が危ぶまれる」と判断したことは理解できないわけではないが、まさに表現の不自由さを象徴する出来事になってしまった。看過できない事態だ。
 不自由展は国内の美術展やイベントで近年、撤去や公開中止になった作品を集めていた。挑戦的な企画展ということもあり、実行委も抗議は一定想定していたようだが、それを大きく超えたのは折からの日韓関係の悪化もあるだろう。
 もちろん展示への意見や反論もまた表現の自由だ。しかし、放火予告や職員を精神的に追い込む誹謗(ひぼう)中傷はもはや抗議の域を超え、犯罪である。暴力的に他人の表現の自由を奪うことがあってはならない。
 行政が主体の実行委が早々に圧力に屈したことも衝撃だ。防犯面などで関係機関との連携はできなかったのか。中止という最終手段しかなかったのだろうか。
 不自由展の実施団体は、実行委から一方的に中止を通告されたと非難している。事実であれば、これも禍根を残しかねない対応だ。
 実行委の会長代行である名古屋市の河村たかし市長の対応にも疑問を呈したい。河村市長は少女像などの撤去を求める抗議文を実行委会長の大村秀章県知事に出した。
 展示が「日本人の心を踏みにじるものだ」と指摘。県市、国の資金が活用されていることから「展示すべきではない」とも述べた。
 大村知事は、市長が「内容にいい悪いと言うことは憲法が禁じる検閲ととられても仕方ない」と強く批判している。当然だ。
 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」との歴史認識に立つ。個人的にどのような見解を持とうが自由だが、市長として中止を求めれば、表現への弾圧ととられても仕方があるまい。
 まして税金は政治家や行政のものではなく国民のものだ。価値観が合わない人には使わせないという発想は許されない。
 今回の騒動が表現の自由を巡るあしき前例にならないか心配する。創作や発表の現場に萎縮を招いたり、忖度(そんたく)が働いたりしないだろうか。社会のゆがみを映す出来事として深刻に捉えていかなければならない。
カテゴリー: 社説


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