2019.08.01 08:37

黒潮マンガ大賞31回の歩み プロ輩出、高知県内勢も活躍

 高知から優れた作家の発掘を目指し、1989(平成元)年に始まった公募賞「黒潮マンガ大賞」(高知新聞社主催)。毎夏、熱く力のこもった作品が県内外から届いた。最終回となった今年まで14年間審査員を務めた漫画家のくさか里樹さんのメッセージや、長年審査に立ち合った記者のコラムなどとともに、賞のこれまでを振り返る。
 
高水準だったこま部門
 第1~17回(2005年)は、こまとストーリーの2部門があり、毎年応募は計600~800点前後。当初はその大半をこま部門が占めた。当時の審査評を読むと、こま作品はプロアマ問わず、質が高かったようだ。
 
第1回のこま部門大賞「お手」。審査員の横山隆一さんは「思わず笑っちゃう」。作者は東京都の27歳女性
 一方ストーリー部門への応募は、全体の1割に満たない年が10年間ほど続く。こまに比べると、審査員の評価もやや辛口だった。
 
 「最初の頃、コマ部門には傑作が集まったが劇画(ストーリー)部門はふるわなかった」。初期の審査員の一人、やなせたかしさんは後年本紙への寄稿でそう回想している。
 
第1回ストーリー部門大賞に選ばれた山北美砂子さんの「あだしの山に月は出て」冒頭部分。切り絵の手法が注目を集めた
時代はストーリー漫画へ
 ストーリー漫画の募集自体「無理ではないか」と言ったこともあるそう。それに反論したのが審査員仲間の青柳裕介さんで、「新聞に長編劇画を載せているところがないからこそやるがぜよ」と引かなかったという。
 
 そしてストーリー作品のレベルは回を重ねるごとに高くなり、応募数も増加。第15回(2003年)に初めて100点を突破した。第18回(2006年)に、プロとして活躍の場が限られる、こま部門を終了。12ページ以下のショートストーリー部門に特化し、商業誌などで活躍できる人材を見いだすべく再出発した。
 
 第22回(2010年)の応募は、リニューアル以降最高の290点。厳しい競争を勝ち抜いた入選者の中には、当時19歳で、後に集英社の漫画誌「週刊少年ジャンプ」で4年間連載を持つ仲間りょうさん=沖縄県出身=もいた。
 
 ◇   ◇ 
 
 黒潮マンガから、全国の若者がプロへと飛躍した。一方で、賞は、地元高知のセミプロ・アマチュア作家の参加にも支えられた。
 
 第1回のストーリー部門で大賞に輝いたのは、現在、高知県内漫画家グループ「高知漫画集団」の事務局を務めている高知市の山北美砂子さんだった。
 
 その後、「高知漫画グループくじらの会」会長だった松本文雅さん=高知市(住所はいずれも当時)=らが同じくストーリー部門で大賞を受賞。最も多い年で859点が寄せられた“激戦”のこま部門でも、県内から小原淳さん=安芸市=や、沢本英世さん=南国市=が大賞に輝いた。
 
 すてきな漫画の数々と31回の歩みを重ねた黒潮マンガ大賞。応募総数は14995点、延べ8732人に達した。
 
東京の料亭で開かれた第1回の審査風景。左から、やなせたかし、横山隆一、はらたいら、黒鉄ヒロシ、岩本久則、青柳裕介の6氏(1989年)
第17回の審査で意見を交わす、くさか里樹さん(左)と西原理恵子さん(2005年、東京・赤坂)
豪華な面々の歴代審査員 時代映す
 今から30年前にさかのぼる、第1回黒潮マンガ大賞の審査。会場となった東京・赤坂の料亭には、豪華な面々が並んだ。
  
 横山隆一、やなせたかし、はらたいら、青柳裕介、黒鉄ヒロシ、岩本久則という、高知県出身・在住の著名漫画家の各氏。個性豊かな6人が顔を突き合わせ、議論を闘わせながら、作品を吟味した。
 
 審査員は少しずつ入れ替わり、青柳さんと横山さんが亡くなった翌年の第14回(2002年)に、当時37歳の西原理恵子さんが加わった。
 
 ショートストーリー部門に一本化した第18回(2006年)以降は、西原さん、くさか里樹さん、小学館の八巻和弘さんが固定メンバーに。八巻さんは編集者ならではの視点で、入賞入選者に具体的な助言を行ってきた。
 
 黒潮マンガにかつて入賞経験がある村岡マサヒロさんは、第29回(2017年)から審査する立場へ“転身”。最終回の今年は、ウェブを中心に活動する人気漫画家、カメントツさんを迎えた。
 
 時代で顔触れは変わっても、審査員の厳しく愛情ある目が、有望な描き手たちを見いだした。(徳澄裕子)
 
《歴代審査員》
 横山隆一、やなせたかし、はらたいら、青柳裕介、黒鉄ヒロシ、岩本久則、矢野徳、西原理恵子、くさか里樹、八巻和弘、村岡マサヒロ、カメントツ(敬称略)...

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