2016.06.16 08:20

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(18)放課後デイが窮地を救う

沢田京子教諭は節目でいつも音十愛ちゃんの将来にアドバイスを送った(2010年4月、若草養護学校・土佐希望の家分校小学部1年生)
沢田京子教諭は節目でいつも音十愛ちゃんの将来にアドバイスを送った(2010年4月、若草養護学校・土佐希望の家分校小学部1年生)
■代償覚悟で古巣へ転校■
 夫の休職でやむなく“社会復帰”した山崎理恵さん(49)は2014年春、大きな賭けに出た。小学4年になる音十愛ちゃんを、若草養護学校・土佐希望の家分校(南国市)から県立盲学校(高知市)へ転校させたのだ。

 3年生の3学期、音十愛ちゃんのことを乳児期から関わっていた若草養護学校・土佐希望の家分校の沢田京子教諭(2015年春退職)が言った。「お母さん、このままでいいの? そろそろ盲学校に返してあげないと。ここでは視覚障害児の教育に限界がありますよ」

 若草養護学校・土佐希望の家分校は本来、重度の重複障害児が対象。手引きで歩けるようになった音十愛ちゃんは、視覚以外の感覚を生かして発達を促す環境が望ましかった。

 理恵さんは悩んだ。転校の代償が怖かったのだ。施設も先生も友だちも、すべて振り出しに戻る。自傷が激しくなりかねない。下校後の放課後デイサービスの新たな事業所も探さねばならない。希望の家の放課後デイは親の送迎が前提で、仕事を始めた理恵さんには無理だった。

 だが、3年前に希望の家分校進学を選んだのは、体力を付けて盲学校へ戻るためだったはずだ。

 「日々の生活で精いっぱいだった私は、音十愛の将来を忘れかけていたんです」と理恵さん。覚悟を決めて盲学校に移った。すると案の定、大変な事態になった。

 担任となった松本典子(ふみこ)教諭(60)=2016年春退職=は振り返る。

 「とにかく、情緒の安定に大変でした。1日の中ですごく浮き沈みあって、急に激しく泣き、自分の顔をげんこつでたたくんです。何ともならない時もありましたねえ、1学期は」

 放課後デイの新たな受け入れ先「幸のつどい」(高知市大津)も同じだった。「初日は良かったんです。2日目から自傷が始まり、3日目からは泣くし、たたくし」と中平武志代表(34)。

 もともとは高齢者専用のデイサービス施設。高知市内の相談支援事業所の依頼で障害児に門戸を開き、音十愛ちゃんは3人目だった。高齢者の通所介護基準は、利用者5人に対して職員1人だが、「幸のつどい」では「2・5対1」以内の手厚い人員配置。その枠内でやれると思っていたが、泣き暴れる音十愛ちゃんは、職員1人が付きっきりになる。残念ながらそれは無理だった。

 音十愛ちゃんのケアを断る選択肢もあったが、「現実問題として、他に行き場がなかったんです。そうなると、施設に入るしかない。それは絶対に避けたかった」と中平代表。

 困って制度を調べたところ、重心児対象の制度が見つかった。「高齢者デイの“おまけ”でなく、特化してしっかりできる制度だったんです。『これだ!』と思いましたね」

 重症心身障害児対象の放課後デイは、民家を借りて12月にスタート。「ほぼ1対1」の対応が可能となった。そのころには自傷はかなり落ち着いていた。

 「幸のつどい」はこれ以外にも、山崎家にとって強い味方となった。自宅から盲学校への朝の送迎を特別サービスで引き受けてくれたのだ。「収支ですか? まあ何とか。子供の制度は手厚いところがあるので、努力すればできるんです」と中平代表。

 理恵さんは感謝感激。だが、その一方で山崎家には崩壊の危機が迫っていた。


関連記事

もっと見る



ページトップへ