2016.06.15 08:15

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(17)夫が休職 またピンチ

一家を支えるため、理恵さんは今春まで大学病院で働いていた
一家を支えるため、理恵さんは今春まで大学病院で働いていた
■支援フル活用で職に就く■
 7カ月間の入院を経て山崎音十愛ちゃんは2009年10月末、盲学校幼稚部(高知市)の年中組へ復帰した。「生命の闘い」は峠を越したが、嘔吐(おうと)は完全に収まったわけではなく、訪問診療も受けながらの在宅生活。恐る恐るの状態で1年がたった10年秋、システムエンジニアの夫が突然、心身の不調で休職してしまった。

 仕事があまりに忙しく「精神的に追い込まれちゅう。ちょっと病院で診てもらう」と受診し、そこから9カ月間、休職したのだ。

 「音十愛が落ち着いた、と思ったらまた違う問題が『ダーン!』と出てくるんです。その繰り返し…でやってます、私。あはは、強くなりますよね」と理恵さん(49)。

 子供3人を抱え家計は切迫。蓄えを取り崩すが間に合わない。その間に音十愛ちゃんは盲学校幼稚部を卒業。若草養護学校の土佐希望の家分校小学部(高知県南国市)へ入学した。

 本来なら、そのまま盲学校にいたかったが、午後3時までの学校は体力的にきつかった。まだ、嘔吐症の関係で口から食べられず、胃ろうの注入に頼っていた。1回、200ccを3時間近い超スローペース。速いと吐く恐れがあった。その間、ずっとそばで見守りが必要だった。

 もう一つ理由があった。盲学校の早期教育相談で世話になった沢田京子教諭(61)=昨春退職=が、希望の家分校に移っていたのだ。心強い。先生が重度心身障害児に慣れているので昼食も安心だし、放課後は隣の希望の家のデイサービスがみてくれる。

 自分の時間ができた理恵さんは、自宅でできる仕事を始めた。健康と美容商品の代理店。さらに2年後、高知大医学部の研究助手として週4日の勤務が入った。音十愛ちゃんが安定したこともあったし、内職的な収入だけでは厳しかった。その数カ月後には家賃節約のため、再び義父母宅で同居を始めている。

 兄と姉の少年スポーツ活動にも付き添い、慢性的な寝不足。「本当に眠かったんです。運転中に車がスーッと路肩に寄っていくんです。恐ろしいですよね」。買い替え前の車は傷だらけだったという。

 不死身のような理恵さん。それを支えたのは、在宅介護の各種支援サービスだった。盲学校復帰時からフル活用し始めたのだ。

 そのきっかけは、高知大医学部付属病院の小児看護専門看護師。退院後を心配し、医師や保健師、訪問看護師、民間ヘルパー、施設、学校関係者らに呼び掛け「サービス調整会議」を開催。各職種が連携する支援プランを組み上げてくれたのだ。

 「制度に詳しい高知市の保健師さんが、『お母さんに必要なサービスは、これとこれとこれやね』って、工夫しながら組んでくださったんです。集まってくれた皆さんも『やりましょう』って。これなら何とかやっていけると思いました」と理恵さん。

 通学は週4日。水曜は休んで土佐希望の家のデイサービスを活用した。入浴ヘルパー、その他の訪問サービスも使えるだけ使い、兄と姉の相手をできる時間もひねり出してくれたのだ。

 助かったが、それは同時に、家族以外の人が家の中へ入ってくることも意味した。「主人は最初、戸惑ったと思います。残業が多かったし、たまに早く帰ってもくつろげなかったかも。でも、私は子供と仕事で精いっぱい。いろんなストレスが重なって限界が来たんだと思うんです」

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