2016.06.11 08:20

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(13)「母の怒り」再び

掛水奈都希ちゃんの自宅通学がかなって出版された小冊子(1993年夏発行)
掛水奈都希ちゃんの自宅通学がかなって出版された小冊子(1993年夏発行)
■16年前にも世に問う■
 盲学校幼稚部入学運動が盛り上がった時、山崎理恵さん(49)は支援者からこう言われたそうだ。

 「障害児の教育問題が県内でこういう大きな波になるのは十数年に1回です。悔しさで怒り狂った親が現れ、その人が核になった時、初めて運動は起こる。問題はずっと起き続けているのだが、核になる人がなかなか現れないから、表面化しないんです」と。

 実際、16年ぶりだった。その“先輩お母さん”は、理恵さんが「私の恩人」と呼ぶ高知市一宮の掛水加芽子さん。やはり全盲で重度心身障害の子を自宅で育て、就学問題で壁に当たり、高知県母親大会で訴え、養護学校小学部への自宅通学を勝ち取ったのだ。その過程は音十愛ちゃんの運動とそっくりだった。

    ◇  ◇
 掛水さんの次女、奈都希(なつき)ちゃん(5年半前に死去)は1986年に生まれた。乳幼児期は家から車で15分の重症心身障害児者施設「土佐希望の家」のデイサービス「やまびこ教室」へ母子通園していたのだが、就学に際して問題が起きた。

 当時、在宅児の通学できる小学部は、吾川郡春野町(現高知市)の若草養護学校本校しかなかったのだ。車で1時間もかかる。土佐希望の家の中には、若草養護の分室があったが、ここは土佐希望の家の入所児しか受け入れてない。「なんで自宅近くの学校へ通えないの?」と母親仲間が「親の会」を結成。通学生受け入れ要求運動を始めたのだ。

 高知県教育委員会へ行ったが相手にされない。高知県母親大会で意見を発表。そして、高知市の中心商店街で街頭署名活動、県の担当部署との交渉―。結局、高知県議会総務委員会が請願採択し、通学OKとなる。その後も運動は続き、土佐希望の家の隣に本格的な校舎が完成。「分室」は「分校」に昇格したのだ。

    ◇  ◇
 理恵さんが掛水さんを知ったのは2007年12月半ば。高知県教育委員会から盲学校入学を門前払いされ、「これ以上、高知で頑張るのは厳しいかも。子供3人を連れて高松(実家)へ帰るか…」と思い詰めていた時だった。打ち明けられた盲学校の当時の早期教育相談担任、沢田京子教諭(61)が「私も尊敬しているお母さんがいるから、ぜひ会ってみて」と紹介したのだ。

 電話を入れるより先に、掛水さんから先に電話が入った。「沢田先生から聞きましたよ。つらかったね」

 そのひと言で理恵さんは号泣したという。数日後、掛水さんの案内で土佐希望の家を訪ねた。やまびこ教室に入ると職員たちが「かわいい」「かわいい」と取り囲んだ。理恵さんはまた泣いた。

 「それまで『まあ、かわいそう。大変…』としか言われたことがなかったんです。初めて普通の子に接するように関わってもらえた。ホントにうれしくて」

 掛水さんも理恵さんを抱き締めた。「よく、絶望せずに頑張ってきたと思いました。ひと目見て、あれほど重い障害の子は初めてだった。自分が行き詰まっているころを思い出したんです」


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