2016.06.10 08:15

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(12)腹をくくった街頭演説

現在(左)と9年前の山崎理恵さん。試練を乗り越え大きく変わった
現在(左)と9年前の山崎理恵さん。試練を乗り越え大きく変わった
■踏み出さねば始まらない■
 「私ね、思うんですよ」。盲学校への入学運動を振り返っていた山崎理恵さん(49)は言った。「こんな話を聞くと、『私だからできた』みたいに思われてしまいますよね。そういう話にならないようにしてほしいんです」

 言葉の向こうに葛藤を垣間見た。おそらく、障害児仲間のお母さんを励ましても、「私はそこまでは…」と言われてきたのだろう。

 そういう、ためらうお母さんの気持ちを、筆者は過去の取材から何となく分かる。勇気がいるし、行動を起こせば、世話になっている医療、福祉関係者に角が立ちかねない。また、障害の種別、重さによって要求も違い、足並みがそろいにくい。

 そして、事態が深刻なお母さんほど、身動きできないのだ。子供は体調が急変しやすい。発作もあるし、たんも詰まりやすい。外出するのに酸素ボンベやモニター、吸引器が必要な子もいる。その大変さは世間の想像をはるかに超える。

 その意味では音十愛ちゃんの場合、闘病の問題が解決すれば、比較的元気なのであとは自傷と不眠、栄養・水分の摂取が大きなテーマ。理恵さんがやる気になれば、社会に訴えやすいとも言える。理恵さんは体力も行動力も人一倍あったが、何といっても看護師資格があるのは強い。外出時の体調急変への対応力が圧倒的にあった。

 さらに言えば、理恵さんは高知県外出身。実家やきょうだいといった頼れる人的資源もなく、とにかく周囲へ救いを求めざるを得なかった。世の中には困った人に手を差し伸べたい人がいる。彼らの気持ちを揺さぶるほど理恵さんは切羽詰まっていたし、そのアドバイスに応えて頑張ったのも事実だ。

 だから、「理恵さんだからできた」ではなく、「やらざるを得なかった」と言えるのではないか。

    ◇  ◇

 理恵さんは8年前の「ひろめ市場」での街頭演説の場面をこう振り返った。

 「私、腹をくくったんです。みんなの前で子供のことを暴露する。勇気もいるし覚悟もいる。捨てないといけないこともある。リスクを取るかどうかの分かれ道でした。でも、リスクを取ったら、進むべき道しるべを下さった方が、たくさんいたんです」

 「怖がっていては何も始まらない。踏み出さないと。その勇気を感じてもらえたら今回、新聞で紹介してもらった意味は大きいと思います。何かを変えたいと思っている『原石』みたいなお母さんはいっぱいいる。少しの勇気があれば、壁は打ち破れるんじゃないかって。そう思いません?」

 今でこそたくましい母親だが、10年間付き合ってきた盲学校「ひまわり教室」の沢田京子・元教諭(61)は言う。「最初はごく普通のお母さんでした。これほど凜(りん)とするなんて。子供を通じて人間的にも、外見もすっかり変わりましたね」

 昔の写真を見せてもらうと、「なるほど、別人」だった。

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