2019.04.29 08:00

【強制不妊救済法】これがゴールではない

 旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制された障害者らを救済する法律が成立した。非人道的な差別に対する「反省とおわび」を表明し、一時金320万円を支給することなどが柱だ。
 長年、謝罪も補償も受けられず放置されてきた被害者のことを考えれば一歩前進である。だが国の法的責任には触れておらず、被害者との溝は埋まっていない。
 救済法成立がゴールではない。これを機に国は被害者の尊厳と名誉の回復に向けた取り組みを、本格的に始めなければならない。
 旧法は不妊手術を知的障害や遺伝性疾患を絶やすためとし、身体拘束や麻酔のほか、だまして手術を受けさせることも認めた。国の統計で確認できるだけで約2万5千人が不妊手術を受けた。本県でも173人が受けたとみられている。
 障害者らの人権を踏みにじり、「子どもがほしい」という願いや生きがいを奪った罪はあまりに重い。にもかかわらず、反省とおわびの主体は「われわれ」とあいまいだ。
 安倍首相は「政府としても真摯(しんし)に反省し、心から深くおわび申し上げる」との談話を出した。旧法は議員立法で成立したが、「われわれ」には政府も含まれることを認めたことになろう。そうであるなら国の責任について、救済法でもっと踏み込むべきではなかったか。
 救済が行き渡るかどうかも懸念されている。
 2万5千人のうち個人名が分かる記録が残っているのは約3千人。国はこの人たちに対し、救済対象であることを原則通知しない。プライバシー保護のためという。しかしそれだと本人に施術された認識が薄かったり、事情を知る親族が亡くなっていたりすると、対象だと気づかないこともあり得る。記録がない人も含めて、どれだけ対象者をすくい上げることができるかが問われる。
 二度と同じ過ちを繰り返さないために、救済法には国会が立法過程を調査することも規定された。いつ、何を間違えたのか。それを踏まえなければ、本当の意味での謝罪も反省もできはしない。
 一時金の額は適切か。一時金を支給されるのは生存している被害者本人で、故人や配偶者らは対象外というのは妥当か。各地で続く国家賠償請求訴訟の原告たちは、旧法の違憲性も問うている。徹底的な調査と検証を行わない限り、そうした問題への答えも見えてこないだろう。
 被害者に苦しみを強いたのは政治はもとより、マスコミも含めて彼らの切実な声を受け止めることができなかったからでもある。相模原市の障害者施設殺傷事件の被告は「障害者は不幸しか生みださない」と言っていたという。優生思想は今なお、世の中に息づいているのではないかと思わせられる。
 「共生社会の実現に向けて、努力を尽くす決意を新たにする」。救済法の前文にある決意を、私たち一人一人も持ち続けなければならない。


カテゴリー: 社説

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