2019.04.11 18:42

89歳ママ「最高に幸せ」土佐市のスナック 閉店危機を救ったのは…【動画】



土佐市高岡の商店街。この地で約40年続いたスナック「ジョイ」のママ・海地田鶴子さん(89)がこの春、引退を決めた。「楽しい思い出がいっぱい」と涙ぐみながら、毎日通った店を愛おしそうに見つめる。


引退を考えたのは2ヶ月ほど前。体の不調を感じ、毎日店に立つことが難しくなっていた。「店が空き家になって、看板も傾いて…そんな姿を見るのだけは、嫌やなぁって」。

気落ちする田鶴子さんに声をかけたのが、元常連客の高芝賢大さん(34)と永田順治さん(39)。後継者を探していると聞き、「スナックは夜の地域住民の交流場。跡継ぎがいない店も多い今こそ、こういう場所を残していきたい」とすぐに手をあげた。


高芝さんは、元土佐市役所の職員。民間の立場で地域を盛り上げようと3月末に退職したばかりだ。4月からは、地域おこし活動などに取り組む民間企業に身を置いている。

土佐市で地域おこし協力隊として活動していた永田さんをパートナーに、寂れゆく中心街の「なくなっていきそうなものを立て直したい。いろんな人を巻き込んで、民間の立場から街を盛り上げていきたい」と意気込む。


「ジョイ」の名前もそのまま引き継がれることになり、田鶴子さんは「最高に幸せ」と笑顔を見せる。「こんな幸せなことはないですよ。私はどうなってもいいけど、この店がなくなるのだけは…」

40年守り続けた店を新しい店主らに引き渡す“バトンタッチパーティー”が開かれたのは、3月末のある夕方。日暮れから常連客らが、田鶴子さんの顔を見ようと集まっていた。居心地のよい空間で、いつものように次々とグラスを傾け、マイクを握る。


よく似合う帽子をかぶり、なじみの顔ぶれに囲まれた田鶴子さんは、どこかはにかみながらも、柔らかく丁寧な口調で、時間を忘れたように話を弾ませていた。

故郷の京都府から仕事の関係で土佐市へ移った田鶴子さんが、店主になったのは39年前。ジョイにはアルバイトで入っていたが、当時の店主が「急に『やめるから店をやりなさい』って。本当、素人同然で始めた」と振り返る。

お酒が飲めない上に出身も県外。知り合いも少なく、当初は客から「俺の酒が飲めんのか」と怒られ、よそ者扱いされたことも珍しくなかったという。そんなつらい時期には、同じように市外出身だった近所の電気店店主が、「よそ者が商売するには石の上にも10年だよ」と励ましてくれた。


辛い時を乗り越えられたのも、店を通して知り合ったたくさんの人の支えがあったから。常連客の中には、毎年の誕生日に花束を届けてくれる人もいて、「数限りない人にお世話になってる。土佐の人は言葉は荒っぽいけど、情がありますよね。だから(ここに)おれた」と田鶴子さん。大切な場所になった店を「私の人生はジョイで始まってジョイで終わる」とすーっと涙をこぼした。


田鶴子さんが頼りにしているという女性客(59)は、通い始めて20年近い。一緒に店に置くテレビを買いに行ったり、高齢で心配だからと仕事終わりの夜遅く、顔を見に来たり。「1人で来てお酒も飲まずにしゃべって、気がついたら朝の3時だったこともある。私も広島から来た人間だから話が合って楽しいの」と女性。その隣で田鶴子さんは、まるで娘を見るような優しい目で話に聞き入る。


「何日もバイクがなかったら心配する」と話す男性(53)は30年以上通い、たくさんの客を店に連れてきた。飲みに出るとだいたい最後に寄る店で、「静かに飲めるし、1人で来ても誰かなじみの人がいる。まあ、おると帰れんなるけど」。そう笑いながら、「ママも店に愛着があって閉めるのは嫌やったろうけど、自分もそれで人のつながりが途絶えるのは嫌やった」と店の継続を喜ぶ。

客として来て、田鶴子さんを手伝うこともあった男性(50)は「ママを中心に常連でつくる店だった」と振り返る。後継者がいなくて廃業する店も多い中、「形が変わっても続いていくのがうれしい。ママも遠慮せずに出てこないかん」と笑う。


「まさかそんな人がいるとは思わなかったから。店が続くのが本当にうれしい」。すっかり日も暮れ、看板のネオンライトが人通りの少なくなった商店街にともる。店内で過ぎるにぎやかな時間。その真ん中で田鶴子さんは「みんなに支えてもらい、素人のままでやってこられた。心のつながりがありがたい」と涙を拭いた。


■スナック ジョイ
所在地:土佐市高岡町乙160-5
電話番号:088-852-1931
定休日:日曜日

(文・飯野浩和 / 撮影 作曲・木田名奈子)

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